チチハル裁判期日のお知らせ(2012年1月20日10時~17時頃)

1月 17th, 2012

以前に予告はしておりましたが、正式なお知らせ掲載が遅くなりまして申し訳ございません。

次回のチチハル裁判期日は、1月20日(金)10時~17時頃(昼休憩あり) 東京高裁1階 101号法廷にて開かれます。

政府側の担当者2名を証人として招へいしての原告・被告双方からの証人尋問と、中国から原告(正確には控訴人)である被害者1名を招いての意見陳述が行われます。(震災以来)ほぼ1年ぶりに、1階の大法廷で開かれる今回の法廷ですが、弁護側の鋭い尋問によって、国のとった無責任な対応が明らかにされることと思います。結審に向け佳境に入って参りました。多くの皆様 のお越しをお待ちしております。

証人
樽井澄夫氏(遺棄化学兵器問題に関する日中政府間協議が行われた1991年当時の外務省中国課長)
石川浩司氏(外務省中国課長。現職)

原告:王成さん

●同日のイベント
裁判報告集会: 「遺棄毒ガス・チチハル裁判の勝利をめざして」
18時30分~20時30分 文京シビックセンター26F・スカイホールにて実施いたします。

<以後の予定>
●結審:2012年3月23日(予定)
最終弁論を実施し、結審する予定です。原告の来日も予定されています。その他イベントの予定は決まり次第お知らせします。

チチハル裁判期日のお知らせ(2011年11月29日15時~)

11月 25th, 2011

お知らせ掲載がすっかり遅くなってしまいまして申し訳ございません。

次回のチチハル裁判期日は、11月29日(火)15時~ 東京高裁8階 822号法廷にて開かれます。

報告集会を、法廷終了後に、弁護士会館5階の509号室にて実施いたします。

チチハル裁判は、年度内(来年3月まで)の結審を目指しており、佳境に入ってまいりました。裁判の進行にご注目ください。

<年明けの予定>
1)2012年1月20日(金)11時~16時すぎ (予定)
政府側の担当者2名を証人として招へいし、原告・被告双方から証人尋問が行われます。時間も長く、午前11時から午後4時過ぎまでかけて、じっくりと尋問が行われる見込みです。ほぼ1年ぶりに、1階の大法廷で開かれ、久しぶりに中国から原告1名が来日して陳述を行う予定ですので、普段にもまして多くの皆様のお越しをお待ちしております。

2)同上 18時30分~(予定)
原告が来日されますので、夜に集会を開く予定です。内容等詳細は、決まりましたらまたお知らせします。

3)3月ごろ(期日未定)
最終弁論を実施し、結審する予定です。原告も来日する予定です。公判期日やその他の集会などの予定はまだ決まっておりません。

10月29日(土) イベントのお知らせ

10月 11th, 2011

今月29日(土) 14:30より、化学兵器被害解決ネットワーク主催によるイベント、

No More 化学兵器 2011
~化学兵器も原発もない未来を~

が、明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー にて開催されます。

※化学兵器被害解決ネットワークは、チチハル8・4被害者を支援する会のほか、周くん・劉くんを応援する会(敦化事件関係)、ABC企画委員会(毒ガス展など開催)、化学兵器CAREみらい基金、中国人戦争被害者の要求を支える会、千葉県AALAなどの支援団体が中心となって、化学兵器被害の解決を求めて共同行動するために結成したゆるやかなネットワーク(連帯)です。

危険な事実を知りながら、あるいは知ることができたにもかかわらず、国は危険を放置し、時に情報をねつ造してまでも事実を隠そうとしてきました。それは3・11大震災後の原発事故や放射能汚染への対応でも繰り返されました。

今回のイベントでは、毒ガスの取材経験も豊富で、現在は精力的に福島(原発)の取材を続けている、フォトジャーナリストの豊田直巳さんをお迎えし、政府の隠ぺい体質を改めて広く知っていただく会にしたいと考えております。

また、大詰めを迎えつつある毒ガス裁判の経過を弁護団からご報告するほか、毒ガス被害解決の取組みに参加の意欲を表明してくださっている研究者(明治大学 山田朗ゼミの方々)にもご参加いただいて、より一層の活発な運動に向けた、決起の機会にしたいと考えております。
皆様お誘い合わせのうえ、ぜひお集まりいただけますようお願いします。

・・・・・・・以下転送・転載歓迎・・・・・・・・・・・・

No More 化学兵器 2011
~化学兵器も原発もない未来を~

3月11日の東日本大震災によって、福島第一原子力発電所ではとり返しのつかない事故が発生し、今なお被害は拡大し続けています。事故に関する情報は二転三転し、重大な危険につながる情報でも、迅速に発表されるとは限りませんでした。建設を受け入れた地元福島の住民たちにも、果たして原発の危険をきちんと知らされていたのでしょうか。
また、先の大戦中、日本軍は国際条約違反の毒ガスを大量に製造し、終戦時にはそれらを隠ぺいするために国内外の地中・海中に捨ててきました。遺棄された毒ガスにより、現在でも中国や日本国内でたくさんの被害者が出ていますが、政府はそうした危険の存在を知らせず、被害が発生してもその責任に頬かむりをしています。
こうした被害者を救済し、未来に安全な大地を保障していくことを考えなければなりません。
今回お話ししていただく、フォトジャーナリストの豊田直巳さんは、事故直後に福島に入り、原発被害の事実を伝えてきました。またこれまでも、毒ガス被害者に寄り添い、問題の解決に向け鋭い発言をしてきた方です。

当日プログラム(予定)
講演:豊田直巳さん(フォトジャーナリスト)
「そうだったんだ! 原発と毒ガスはつながっていたんだ」
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*遺棄毒ガス・チチハル事件被害者からのビデオ・メッセージ
*遺棄毒ガス被害訴訟の現状・・・・・弁護団から
*研究者から

●日時 10月29日(土)14:30~17:30
●会場 明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー 3階 1032教室
●アクセス
・JR中央線・総武線/御茶ノ水駅 <御茶ノ水橋口>徒歩4分
・東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅 徒歩5分
・東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅 <B3出口>徒歩6分
・都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線/神保町駅  <A5出口>徒
歩5分
●資料代 500円

●豊田直巳さん プロフィール
フォトジャーナリスト。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。
1956年静岡県生まれ。レバノン、パレスチナ取材をきっかけに「民族問題」「難民問題」そして「遺棄毒ガス被害の問題」「日本の現在」など幅広いテーマで世界各地を取材。
近著『フォト・ルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波ブックレット)は、原発震災に見舞われた福島県で続けている取材のうち、約3ヶ月間の記録を中間報告としてまとめたもの。
この他、震災後の津波や原発を取材したものとして、『東日本大震災記録写真集 TSUNAMI 3・11』(豊田直巳編・第三書館)、『JVJA写真集 3・11 メルトダウン~大津波と核汚染の現場から JVJA編』(写真・凱風社)がある。

●皆様へのお願い
ACTION 1 5万人署名へのご協力をお願いします
※署名用紙はWebサイトからダウンロードするか、FAX等でご請求ください。
ACTION 2 学習会・パネル展を開きませんか?
ACTION 3 遺棄化学兵器被害者の裁判を支援してください
※裁判予定はWebサイトで告知します
ACTION 4 カンパのお願い

主催:化学兵器被害解決ネットワーク
連絡先 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2 伊藤ビル3F
電話 03-5379-2607 FAX 03-5379-2608
(Webでの告知はサイトで行っております
中国人被害者の要求を支える会 http://www.suopei.jp/

2010年5月24日 東京地裁 第1審判決内容(その5・完)

10月 11th, 2011

引き続き1審判決の最後までを掲載します
「その4」までの掲載範囲は以下の部分でした。
> 第2 当裁判所の判断
> 1 請求原因(1)について
> 2 請求原因(2)について
> (1) 前提事実
>  ア 毒ガス兵器に関連する条約
>  イ 旧日本軍による毒ガスの生産
>  ウ 毒ガス兵器の中国への配備・保管
>  エ 毒ガス兵器の中国における使用
>  オ 終戦時における毒ガス兵器等の処理状況
>  カ 本件第1現場の状況
>  キ 遺棄化学兵器に関する日本の取組み
> (2) 旧日本軍関係者による本件毒ガス兵器の遺棄とその態様
> (3) 遺棄行為と放置行為
> (4) 不作為の違法性と作為義務の発生
> (5) 本件における作為義務の発生要件の存否

今回(その5・完)は、国のもう1つの責任を指摘した「請求原因(3) 被告の記録化・引継ぎ義務違反による責任」に関わる裁判所の認定と、以上の請求原因(2)・(3)についての判断を元にした最終結論部分となります。

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3 請求原因(3)及び抗弁(2)について

(1)ア 原告らは、請求原因(3)において、本件毒ガス兵器の埋設に関与した旧日本軍関係者が埋設記録文書を作成せず、埋設の事実を後任者に引き継がなかった行為が違法である旨主張する。

イ 日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国等に対する請求権は、日中共同声明5項によって、裁判上訴求する権能を失ったものというべきところ(最高裁判所平成19年4月27日判決・民集61巻3号1188頁)、上記アの行為は埋設行為と一体のものとして評価されるべきであり、埋設行為が戦争行為の一環として行われたことは上記2(2)の認定事実より認められるから、結局、上記アの主張に基づく裁判上の請求は、認められないというべきである。

(2) 原告らは、埋設に関与した旧日本軍関係者の後任の担当者が、埋設記録文書等の維持保管に努めるのみならず、適宜必要な情報を収集して調査を行うことによって、後々まで埋設の事実を知ることができる状態にしておくべき法的義務を負っていた旨主張する。
しかし、そのような法的義務の発生原因となるべき事実は認め難く、仮に同義務が認められたとしても、その義務を履行すれば、本件事故の発生を防止することができた高度の蓋然性があるとも認め難い。

(3) よって、その余の点について判断するまでもなく、請求原因(3)の原告らの主張は失当である。

4 結論
以上によれば、本件事故により原告らが受けた生命、身体への被害は甚大であり、その精神的苦痛、肉体的苦痛は極めて大きいものであったことは明らかであるものの、原告らが主張する被告の法的責任は認め難いと言わざるを得ない。
よって、原告らの請求は理由が無いからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第13部
裁判長裁判官 山田俊雄
(以下割愛/完)

2010年5月24日 東京地裁 第1審判決内容(その4)

10月 11th, 2011

引き続き1審判決を掲載します。
「その3」までの掲載範囲は以下の部分でした。
> 第2 当裁判所の判断
> 1 請求原因(1)について
> 2 請求原因(2)について
> (1) 前提事実
>  ア 毒ガス兵器に関連する条約
>  イ 旧日本軍による毒ガスの生産
>  ウ 毒ガス兵器の中国への配備・保管
>  エ 毒ガス兵器の中国における使用
>  オ 終戦時における毒ガス兵器等の処理状況
>  カ 本件第1現場の状況
>  キ 遺棄化学兵器に関する日本の取組み
> (2) 旧日本軍関係者による本件毒ガス兵器の遺棄とその態様
> (3) 遺棄行為と放置行為
> (4) 不作為の違法性と作為義務の発生

今回(その4)は、「請求原因(2)について」の最後「(5) 本件における作為義務の発生要件の存否」を掲載します。

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2 請求原因(2)について

(5)本件における作為義務の発生要件の存否

ア 違法な先行行為の存否
ハーグ陸戦条約やジュネーブ議定書ではその使用を禁止されている毒ガス兵器を遺棄し、管理されない状態に置く行為は、その存在や危険性を知らない一般人がこれに触れるなどすることにより、その生命・身体に重大な被害をもたらす危険を生じさせるものであるから、違法であると解される。
そして、本件毒ガス兵器が旧日本軍関係者によって遺棄されたものと推認できることは上記(2)で判示したとおりであるから、本件においては、被告の機関であった旧日本軍に属する公務員により違法な先行行為が行われたと認めることができる。

イ 危険性及び切迫性の存否
本件毒ガス兵器は、上記1で認定したとおり、人の生活圏内に存在していて、その内容物である毒ガスに接触するなどした原告らの生命・身体に危険をもたらしたのであるから、人の生命・身体という重要な法益に対する危険性があり、これが切迫した状態にあったということができる。

ウ 予見可能性の存否
上記(1)で認定したとおり、日中両政府は、平成11年に締結された日中覚書において、中国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認していることが認められるのであるから、本件事故が発生した平成15年(2003年)8月までには、被告の担当者において、中国内における旧日本軍の駐屯地付近に、毒ガス兵器が遺棄され、存在していることを予見することは可能であったということができる。
そして、上記(1)ウ、カで認定したとおり、本件ドラム缶が発見された本件第1現場はチチハル市内にあり、チチハル市内には、昭和14年(1939年)から終戦時まで、旧日本軍(516部隊、526部隊)が駐屯していたというのであるから、被告の担当者においては、チチハル市内における旧日本軍の駐屯地やその軍事関連施設付近に、毒ガス兵器が遺棄され、存在していることを予見することも可能であったということができる。
そうすると、毒ガス兵器が、人との接触により、その生命、身体に危害を及ぼすことは容易に予見できるものであるから、被告の担当者においては、本件事故が発生した平成15年(2003年)8月までには、チチハル市内における旧日本軍の駐屯地やその軍事関連施設付近に存在する毒ガス兵器が、付近住民と接触することにより、付近住民の生命・身体に危害を及ぼすことを予見することは可能であったと認めることができる。

エ 作為義務の存否
(ア) 請求原因(2)オ(ア)について
a 原告らは、請求原因(2)オ(ア)において、本件事故の発生時までに、チチハル飛行場の場所及び本件軍事関連施設の場所等に関する情報を収集し、本件第1現場を調査範囲に画定した上、同現場において毒ガス兵器の探索を行い、これを回収して無害化処理をする義務を被告が負っていた旨主張する。

b チチハルには、戦時中、化学兵器の実験業務等を行う通商516部隊、526部隊が駐留していたこと、本件第1現場付近は、516部隊の弾薬庫として使用されていたこと、日中覚書では、日本国政府において、旧日本軍が遺棄した化学兵器の廃棄作業を行うことが明記されるとともに、これについて、中国政府側も適切な協力を行うことが明記されたことは、上記(1)ウ、カ、キで認定したとおりであって、これらの事実は、原告らの上記aの主張を基礎付ける事実と評価し得るものである。

c しかし、上記(1)オ、キで認定したとおり、中国に遺棄された旧日本軍の毒ガス兵器は、中国本土に広範囲にわたって存在していたのみならず、同兵器は、川や古井戸に投棄されたり地中に埋められたりしていたというのであるから、本件第1現場を含め、旧日本軍が駐留し、毒ガス兵器が遺棄された可能性のある地域すべてを本件事故時までに調査することは極めて困難であったといわざるを得ない。
もっとも、原告らの主張のとおり、調査地域をチチハル飛行場の場所及び本件軍事関連施設の場所に限定できれば、本件事故発生時までに本件毒ガス兵器が発見できた可能性が考えられないではない。しかし、毒ガス兵器は、中国内に駐留している各軍隊(北支那方面軍、中支那派遣軍、南支那方面軍等)に配備されていたとの、上記(1)ウにおける認定事実や、別紙発掘回収作業一覧表記載のとおり、チチハルで回収された毒ガス兵器の数が、他の地域と比較して特に多いという傾向は認められないことに照らすと、チチハルには化学兵器の実験業務等を行う516部隊、526部隊が駐留していたという上記(1)ウにおける認定事実を考慮してもなお、チチハル市内あるいはチチハル飛行場の場所及び本件軍事関連施設の場所の探索を、他の地域よりも優先すべきであったと認めることはできない。
以上指摘した点に、内閣府遺棄化学兵器処理担当室は、別紙発掘回収作業一覧表のとおり、平成12年(2000年)から本件事故発生時までに、3回にわたり、毒ガス兵器の発掘回収作業を実施していることを併せ考慮すると、上記ウで認定した予見可能性の存在や、エ(ア)bの事実を考慮してもなお、日中覚書により中国政府側の協力が得られるようになった平成11年(1999年)7月から本件事故が発生した平成15年(2003年)8月までの間に、被告に、原告らがエ(ア)bで主張する義務があったと認めることは困難というほかなく、原告らの上記主張は認め難い。

(イ) 請求原因(2)オ(イ)について
原告らは、請求原因(2)オ(イ)において、上記(ア)aの作為義務が認められないとしても、本件第1現場を含むより広い範囲での調査・探索をすべき作為義務が存在する旨主張するが、上記(ア)cで判示した理由と同様の理由により、この主張も認め難い。

オ 結論
以上の次第で、被告に原告ら主張の作為義務が発生したとは認められないから、これを前提とする原告らの国家賠償法1条1項に基づく請求には理由がない。

(以下、続く)

2010年5月24日 東京地裁 第1審判決内容(その3)

10月 11th, 2011

引き続き1審判決を掲載します。
「その2」までの掲載範囲は以下の部分でした。
> 第2 当裁判所の判断
> 1 請求原因(1)について
> 2 請求原因(2)について
> (1) 前提事実
>  ア 毒ガス兵器に関連する条約
>  イ 旧日本軍による毒ガスの生産
>  ウ 毒ガス兵器の中国への配備・保管
>  エ 毒ガス兵器の中国における使用
>  オ 終戦時における毒ガス兵器等の処理状況
>  カ 本件第1現場の状況
>  キ 遺棄化学兵器に関する日本の取組み

今回(その3)は、「請求原因(2)について」の残り4項目のうち、(2)~(4)までを掲載します。
(2) 旧日本軍関係者による本件毒ガス兵器の遺棄とその態様
(3) 遺棄行為と放置行為
(4) 不作為の違法性と作為義務の発生
(5) 本件における作為義務の発生要件の存否 ・・・これは「その4」で掲載します。

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2 請求原因(2)について

(2)旧日本軍関係者による本件毒ガス兵器の遺棄とその態様
上記1(1)アでの認定事実によれば、本件ドラム缶は、本件第1現場で、建設作業員によって地下1~1.5メートル程度のところから発見されたものであるから、これらのドラム缶は、①当初から地下に保管されていたものがそのまま捨て置かれて遺棄されたか、②人為的に埋設されて遺棄されたかのいずれかと解されるところ、上記①、②のいずれであるかは、本件全証拠によるも明らかでないが、いずれの場合であったとしても、以下に述べるとおり、その行為主体は、旧日本軍関係者であったと認められる。

ア ①の場合
本件ドラム缶は、旧日本軍が中国国内に持ち込んだものであるとの当事者間に争いのない事実に、毒ガス兵器を含む化学兵器は、化学兵器用の特殊格納庫に貯蔵すべきものとされており、日本国内においては、毒ガス兵器が他の断薬と区別されて地下に保管されることがあったとの上記2(1)ウ(イ)の認定事実を併せ考慮すると、本件ドラム缶が当初から地下に保管されていたものがそのまま捨て置かれたものであるとすれば、捨て置いた者は、旧日本軍関係者であったと推認することが出来る。

イ ②の場合
上記2(1)アの認定事実によれば、日本国は、ハーグ陸戦条約を批准し、ジュネーブ議定書に署名していたのであるから、日本国の軍上層部においては、中国国内に毒ガス兵器を持ち込み、これを使用していたとすれば、それが国際的非難を受けることを認識していたと推認することが出来る。この点に、上記認定事実のとおり、関東軍総司令部は、ポツダム宣言受諾後、中国各地に展開している各部隊に対し、ソ連軍に武器を引き渡すことを指示したにもかかわらず、アメリカ陸軍化学戦統括部隊の各調査結果によっても、旧日本軍から連合国軍にイペリット・ルイサイト等の致死性のある毒ガスが引き渡されたことは確認されておらず、かえって、終戦直前から終戦直後の混乱期において、中国各地の部隊においては、上官の命令により、毒ガス兵器等を、川や古井戸に投棄したり地中に埋めたりして、隠匿する例があったこと、中国国内における事例でないものの、毒ガス兵器等に関しては、昭和20年8月に、日本国内において、毒ガス兵器等を陸奥湾に投棄した例があるほか、旧日本海軍司令部が化学戦資材(防毒面を含む)の痕跡を完全に廃棄するように指示した例もあったことなどを併せ考慮すると、終戦前後のころ、中国国内において、旧日本軍関係者が、毒ガス兵器等を隠匿して遺棄した事実があったことは否定し難く、本件ドラム缶が、当初から地下に保管されていたものがそのまま捨て置かれたものでないとすれば、旧日本軍関係者によって、本件第1現場の地中に埋設され、隠匿されたものと推認することができる。

(3)遺棄と放置行為

ア 遺棄とは、当該目的物(動産)の所有権等を放棄しあるいは管理行為等の対象から排除するものであるから、一般的には、その後これを放置しても、これは遺棄の結果が継続しているに過ぎないものであって、このような場合には、遺棄の通常の因果の流れにある放置は、先行行為である遺棄によって評価し尽くされており、放置行為が別個独立の違法行為となるものではないということができる。

イ しかし、遺棄された物が放置されることにより、人の生命・身体等に対する重大な危害を発生させる危険性があり、そして、放置されたことによりその危険性が現実化し人の生命・身体等に被害が発生したときは、重大な危害発生の原因行為を作出したという意味で危険性を有する遺棄行為と、危害発生の危険性がある状態において危害が発生することを防止・回避しないため重大な被害を発生させるという意味で危険性を有する放置行為とは、別個の行為と評価し得ると解するのが相当である。なお、遺棄及び放置が国の行為であるときは、国家機関の内部においても、その担当機関やこれに関して準拠すべき法規が異なってくることがあり得ることからも、遺棄と放置を別個の行為と評価すべき場合があることが肯定されるというべきである。
しかるに、本件第1現場において放置されていたのは毒ガス兵器であることから、これが放置されることにより、人の生命・身体等に重大な被害を発生させる危険性があることは明らかであり、かつ、その放置により危険性が現実化し、本件事故が発生したというのであるから、本件毒ガス兵器の放置行為は、遺棄とは別個の行為として、その違法性の有無を検討すべきものである。

(4)不作為の違法性と作為義務の発生

ア 本件毒ガス兵器は、国家賠償法施行後において放置されていたものであるから、同兵器の放置行為(不作為)の違法性の有無は、国家賠償法上の違法性評価の見地から判断すべきこととなる。

イ 公権力の行使に当たる公務員の不作為が国家賠償法上違法となるには、その前提として公務員に職務上の作為義務が認められなければならないところ、公務員ないし国家機関により一定の重大な法益侵害の危険性ある行為が行われ(違法な先行行為の存在)、その法益侵害の危険性が現存し、かつ、差し迫っている状況にあり(危険性及び切迫性の存在)、当該公務員がその法益侵害の危険性と切迫を認識することができる(予見可能性の存在)場合において、条理上の作為義務の内容が具体的に導かれ、公務員ないし国家機関において当該義務を履行することにより結果の発生を回避することができる(結果回避可能性の存在)と認められる場合には、その不作為が違法になると解するのが相当である。

(以下、続く)

2010年5月24日 東京地裁 第1審判決内容(その2)

10月 11th, 2011

すっかり間が空いてしまいましたが、チチハル事件控訴審も大詰めを迎えようとしていますので、遅ればせながら判決文の「続き」を掲載いたします。
前回掲載したのは次の部分でした。

> 第2 当裁判所の判断  (読み直してみると「第3」が正しいようです。「第1 請求」、「第2 当事者の主張」となっていました。)
> 1 請求原因(1)について  (ほぼ原告の主張に沿って被害の事実が認定されている)
> 2 請求原因(2)について
> (1) 前提事実
>  ア 毒ガス兵器に関連する条約
>  イ 旧日本軍による毒ガスの生産
>  ウ 毒ガス兵器の中国への配備・保管
>  エ 毒ガス兵器の中国における使用

今回は、「請求原因(2)」の続きからです。「請求原因(2)」は「先行行為に基づく作為義務違反による国家賠償法1条1項に基づく責任」を指摘したもので、主張立証にも多くの時間を割いた、中心的論点の一つです。

「その2」では、 「(1)前提事実」の後半を掲載します。

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2 請求原因(2)について

(1)前提事実

オ 終戦時における毒ガス兵器等の処理状況

(ア)武装解除と武器の引渡し
昭和20年(1945年)8月14日、日本は、スイスを通じて連合国にポツダム宣言を受諾する意思を通告した(乙42の13頁)。ポツダム宣言において、日本軍は、完全に武装を解除するものとされた。
同月16日、大本営は、関東軍に対し、「戦闘行為停止のためソ連に対する局地停戦交渉及び武器の引渡等を実施することを得」と指示し、支那派遣軍、第5方面軍にも関東軍に対するのと同様の示達を出し、かつ両軍ともその実施について関東軍と連絡をとるように注意を喚起した(乙41の455頁)。
同月17日早朝、関東軍総司令部は、ソ連軍の進駐に際しては、各地ごとに極力直接交渉によりその要求するところに基づき武器その他を引き渡すこと等を各部隊に打電した(乙41の459~460頁)。
同月18日、関東軍総司令部は、各方面軍及びその他直属軍の参謀長を集め、停戦及び武装解除に関する関東軍命令を伝達した(乙39の4頁)。
同月19日、関東軍参謀総長とソ連の極東軍総司令官との間で停戦交渉が開始され、停戦、武装解除等について協定が成立した(乙41の466~467頁)。そこで、関東軍は、同月20日11時までに一切の戦闘を停止し、武器を交付するように各部隊に指示した(乙46)。

(イ)毒ガス兵器の処理
a 終戦直前から終戦直後の混乱期において、中国各地の旧日本軍部隊においては、(ア)の指示、指令にもかかわらず、上官の命令により、同部隊に配備されていた毒ガス兵器を、川や古井戸に投棄したり地中に埋めたりして、隠匿する例があった(甲32~39)。
b 終戦直後のアメリカ陸軍化学戦統括部隊の広東派遣班、同上海派遣班、同華中派遣班の各調査においては、旧日本軍から連合国軍にイペリット・ルイサイト等の致死性のある毒ガス兵器が引き渡されたことは確認できなかった(甲47~49)。
c 毒ガス兵器の隠匿については、昭和20年(1945年)8月20日ころ、毒ガス兵器を日本国内の陸奥湾に投棄し、隠匿した例や(甲5の6頁、甲26の20頁、甲28)、同月25日ころ、旧日本海軍第23特別根拠地隊司令部(セレベス島マカッサル)が、化学戦資材(防毒面を含む)のすべての痕跡を完全に廃棄するように命令を発した例などがある(甲5の7頁、甲26の21頁)。

カ 本件第1現場の状況

(ア)戦中のチチハル市内においては、市内中心部から南に龍門大街、青雲路と称される街路があり、青雲路を南下した地域に南大営と称される地区があり、南大営に満洲航空のチチハル支店が置かれていた(甲7、133の93頁、137~139、268、269)。南大営の南側に、昭和7年(1932年)5月、チチハル飛行場の建設が開始され、昭和8年(1933年)の夏に完成した(甲135の506頁)。
本件ドラム缶が発見された本件第1現場付近は、戦中、チチハル飛行場の近くにあり、旧日本軍516部隊の弾薬庫として使用されていた(甲270)。

(イ)上記(ア)の弾薬庫は、中華人民共和国成立後は人民解放軍の弾薬庫となり、平成13年(2001年)に北疆開発公司に売却され、平成14年(2002年)に北疆花園団地の開発が始まった(甲217、218、270、原告龍国安本人1~5頁)。

キ 遺棄化学兵器に関する日本の取組み

(ア)平成2年(1990年)4月、中国は、日本に対し、非公式に、旧日本軍が中国に持ち込んだ化学兵器の処理要請を行った。これを踏まえ、平成3年(1991年)1月、上記化学兵器の問題について、日中両国政府間で協議が開始された(乙24の1頁、乙32)。
この協議が進められた後の平成11年(1996年)7月30日、日中両国政府は別紙日中覚書記載の内容の覚書を締結した。同覚書において、両国政府は、旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認した(乙6)。
この間の平成7年(1995年)9月に、日本は、化学兵器禁止条約を批准した。同条約は、平成9年(1997年)4月29日、発効した(乙24の1頁)。

(イ)外務省は、中国に遺棄された化学兵器について、平成3年(1991年)6月から平成19年(2007年)4月にかけて、46回(11回の緊急現地調査を含む)にわたり、化学兵器に関する現地調査を行った。その調査対象となった地域が存在する省は、吉林省、江蘇省、浙江省、黒竜江省、遼寧省、河南省、河北省、湖北省、安徽省、湖南省、江西省、広東省と広範囲にわたるが、そのほとんどの地域で、旧日本軍の化学兵器の存在が確認された(乙31)。

(ウ)a 日中覚書締結直前の平成11年(1999年)4月1日、遺棄化学兵器の廃棄処理事業を実施する部署として、総理府に「遺棄化学兵器処理担当室」(その後の省庁再編により内閣府に所属)が発足した(乙24の2頁)。
b 上記担当室が扱っている遺棄化学兵器の処理事業には、以下のとおり、(a)ハルバ嶺における発掘、回収作業と、(b)その他の地区における発掘、回収作業がある。

(a) ハルバ嶺について(乙24の8頁、14頁、乙32)
旧日本軍の遺棄化学兵器が最も多く残されている地域は、吉林省敦化市のハルバ地区である。1950年(昭和25年)代初め、敦化市内の諸地域で、大量の化学砲弾が発見され、頻繁に中毒事件が起きたため、中国政府が、昭和26年(1951年)から昭和38年(1963年)にかけて、これらを人の住まないハルバ嶺の一角の山腹に埋めたものである。
同自治区における処理事業は、平成19年(2007年)の段階で、発掘、回収施設及び無害化処理施設建設のための造成工事を開始し、処理事業を進めるべく、中国側と協議中となっている。
上記担当室は、ハルバ嶺には30~40万発の化学兵器が埋設されていると推定している。

(b) その他の地区について(乙24の14頁、乙32)
その他の地区については、同担当室は、平成12年(2000年)9月から平成19年(2007年)までの間に、別紙発掘回収作業一覧表記載のとおり、合計16回にわたり、中国各地において、化学兵器の発掘回収作業を実施し、旧日本軍の化学兵器又はその可能性のある砲弾等を回収した。この回収作業と上記(イ)の外務省調査により回収された化学砲弾等の数は、約3万8000発である。

(以下、続く)

馬場さんとの出会い

5月 11th, 2011

チチハル控訴審第4回・・・2011年7月12日(火)  10:00~ 東京高裁101号法廷

2011年5月10日、チチハル控訴審第3回が行われました。やや傍聴者が少なくなってきていますので、ぜひ次回はたくさんの方のお越しをお願いします。

さて、裁判報告もしたいのですが、今日は、4月30日に行われました、神栖フィールドワーク報告の続きです・・・。

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写真の馬場さん(右)は、娘さんが小さいときに、知らずに井戸水を飲ませてしまったため、娘さんは今もずっと障害を持っておられます。

「私があの水を飲ませてしまったために、娘の健康を失ってしまった・・・」と自分を責めて、何度も自殺を試みたとのお話を伺いました。

傷だらけの手首・両腕を見せていただいた時あまりのショックに、思わず母親として一緒に泣くしかできなかった私(左)ですが、「お母さんあなたのせいではありません。だれだって知らなかったら水飲ませますよ。だから自分を責めないで」ということを言いました。

すでにこんなに苦しんでいるのに、更にお母さんが亡くなってしまったら、ますます娘さんが辛いですよ・・・。

と言っていても、私は馬場さんの気持ちなんか分かっていない、体験していない人間です。死んだ方がまだましとさえ思えてしまうような苦しみ、毎日毎日を生きていくことだけでさえ辛くて仕方がない、そんな人生を送らなければならない人たちに向かって、被害者でない私たちが「生きてほしい」っていうのは、ものすごく不遜なことでもあります。

それでも・・・。こんな悲痛な叫びを聞いて、もちろんみんなショックで言葉が出ないのは分かるけれど、ただみんなで黙ってシーンと聞いていたら、もしかして「じゃ、死ねば」って言う冷たい反応に受け取られてしまったらどうしよう!?・・・と、いてもたってもいられず、思わず叫び返してしまいました。「いや、死なないでください!絶対死んでほしくないです!!」

毒ガス被害者は健康を失ってしまった。そこに健康な私たちが行って話を聞く残酷さ。その後ろめたさはいつも感じるけれど、馬場さんのお話を伺っていると、別の新たな気持ちもわいてきました。

「こんなに苦しんでいる被害者が、裁判を闘おうと言ったって、生きていくだけでせいいっぱい、それどころか、生きていく気力さえなくしておられるではないか。健康な者こそ、できることがある。世の中への呼びかけや、裁判に必要な無数のめんどくさい作業を、健康な人間が担わなくてどうするのか!?」

本当に、被害者の皆さんに、生きるか死ぬかの崖っぷちで「生きる」選択をしていただくためにこそ、支援者がどんな誠意を見せることができるかが問われています。自分の責任の重大さ、それに比べて今の自分のダメダメさを痛感させられますが、このまま社会が被害者を放置していいわけはない。そうであれば、裁判を含む何らかの形で、きちんと世に問い、国と県の姿勢を変えさせていかなければなりません。健康な皆さんが、たくさん支援運動に参加してくださるよう、心よりお願いいたします。

被害者一同から1000元カンパ

5月 7th, 2011

チチハル控訴審第3回・・・2011年5月10日(火)  10:00~ 東京高裁101号法廷

2011年4月6日付で、チチハル8.4の被害者一同から、メッセージと共に義援金1千元を頂いていたことが分かりました。ご報告が遅れてしまい申し訳ありません。通訳コーディネーターの李楼さんから、転送いただきました。

被災区の皆様、こんにちは。
私達43名チチハル旧日本軍遺留化学兵器被害者一同、日本の地震被災者へ義援金1千元をお送りさせていただきます。微力ですが、少しでも役に立てればと思っています。被災者の皆様が一日も早く困難な状況から脱出して、美しい故郷を再建できるように頑張りましょう。

王宇亮、陳栄喜、丁樹文
牛海英、楊樹茂、李双義
崔金山等 被害者一同
2011年4月6日

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いつも裁判のたびに「被害を受けて以後、収入が途絶え、生活もままならない・・・」「子どもが学校に行けなくなった・・・」「経済的理由から夫婦にヒビが入り、別れてしまった・・・」そんな辛い証言を聞いていたので、これほど厳しい生活の中から、みんなで集めて1千元を出してくださったことがどんなに尊いことかと、身にしみて感じます。

弁護士の羅先生は、お一人で5千元出してくださったのですが、そちらももちろんありがたいです。が、金額の多寡だけを比較はできません。私も子どものいる生活では、自分の財布を閉め気味になるのに、経済的に苦しい方が少しずつでも出してくださった・・・。そのことには格別の意味を感じます。

この支援運動も、たとえば貧乏人から千円ずつ集めても、なかなか諸経費をまかなえないので「お金持ちや企業からまとめてご支援いただく方策を考えてはどうか」といった意見を出された人もいました。もちろん一理ありますし、そういったご支援は大歓迎です。毒ガス被害の支援に理解を得られそうなお金持ち・企業さんをご存じの方は、ぜひぜひ説得してください!なかなか難しければ、弁護士や支援者代表が赴いてお話しさせていただきます!

ただ、かつて高額納税者しか選挙権のなかった時代などと比べれば、今の時代、貧乏人にも一人一票がありますし、インターネットでの意見発表もできます。貧乏人のできることの価値が、絶対に上がっているはずなのです。「自分は千円しか出せないから・・・」って卑下する必要は全くありません。そして、貧乏人がここまでやった、あるいはやってくれた、ということをどんどん過大評価(!?)して大きな動きに広げていくことが大事だと思います。

なので、毒ガス兵器被害者の善意に感謝しつつ、私たちも見習っていきましょう。「今日チチハル8.4支援に1000円カンパしたぞ〜〜。なに、1000円ではけちくさい?じゃ、そういう君は何かに寄付したのか?なに、してない?じゃ、今すぐ1000円出しなさい!!」などなどと、あちこちで騒ぎ立ててアピールしていきましょう。宜しくお願いいたします。

青塚さんとの再会

5月 6th, 2011

チチハル控訴審第3回・・・2011年5月10日(火)  10:00~ 東京高裁101号法廷

2011年4月30日(土)に、茨城県神栖市にてフィールドワークを実施しましたが、このときお会いした、神栖の被害者・青塚親子には、2009年のシンポジウムの時にお会いしているので、より感慨深かったです。

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「あの時の青塚さんの写真無いかな・・・」と探したのですが、佳縁ちゃん、紫薇ちゃんは写っているのに、青塚親子の姿がない!!

それもそのはず。当時の気持ちを思い出すと、車いすのお母さんが、元気いっぱいに走り回る息子・琉時(りゅうじ)くんに、静かにしなさい等と注意はしていたものの、非常につらそうで大変そうで、いかにも病人というか重度の被害者という様子で、カメラを向けることが気持ち的にできなかったのでした。

それが、このたびの2年近く経ったフィールドワークでは、ちゃんと歩いておられて、より活発に走り回る琉ちゃんにも「だめよ!!」と力強く叫ぶ青塚さんの姿が。ビックリしたのは私だけではなかったようで、他のフィールドワーク参加者からも「ええ!!同じ人ですか!!!」という驚きの声が上がっていました。

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本当に、どんな苦労をして、それに耐えて明るく振る舞っているのか、尊敬の念でいっぱいですが、前より元気そうになられたことは、一支援者としてとても喜ばしいことです。

しかし、「被害の支援」という意味では、「なんだ、回復してるジャン。元気ジャン。大丈夫ジャン。支援要らないジャン」というふうに国や県から取られては困ります。「何度も琉を連れて死のうと思った」ともおっしゃっていましたが、本当に大変な思いが今も続いている、笑顔の向こうに何があるのか。それは、明るく見える被害者と、泣いている被害者で、何も変わるところはない。その本質に気付かないで表面だけ見ることは絶対にしないようにと思います。

前にチチハルの被害者についても書きましたが、じゃあ支援をもらうためには、どこまでもいつまでも、惨めったらしく暗くしてなければいけないのか。そうではないですよね。少しでも幸せに明るくいてほしい、そのためにこそ支援をする。そんな被害者と支援者の良い関係づくりがこれからもっとできていけるように、頑張りたいと思います。

***追記・・・この記事を書いた後、他の支援者の方から「青塚さんが当時車いすだったのは、ヒ素による被害ではなく、事故に遭われたり色々なことがあったそうですよ」というご指摘がありました。「えっ、そうだったんですか!確かに、2年前のシンポジウムでどういう説明を受けたかは忘れてしまった。・・・」と驚き。大変失礼いたしました。

 人って、何か説明されても正確に長期間覚えていることは少なくて、印象やインパクトの方が残るんですね。だからこそ、フィールドワークにしても、スタディツアーにしても、直接の印象を心に刻みつけることが大事なんですね。「百聞は一見にしかず」でした。でももちろん、不正確な情報を流してはいけないので、今後気をつけていきたいと思います。