Archive for the ‘news’ Category

佳縁ちゃん、北京へ

木曜日, 8月 12th, 2010

久々に、被害者の冯佳縁ちゃんのブログを拝見しました・・・♪

日本での思い出深い写真もお友達向けにアップされていて、楽しかったようです。支援者としては何よりです!

そして、7月10日付で、「北京に行くけど、ハルビンやチチハルのお友達もみんな勉強頑張って、元気でね、みんなの友情は忘れない」という日記が発表されています。お友達からの応援コメントもたくさんついています。良いお友達に囲まれて何よりです。佳縁ちゃん自身も、北京でも元気で頑張ってほしい!遠くから願っております。

さて、その佳縁ちゃんがこのところメロメロにはまっている「王子」、中国アイドル俞灏明(ユィ・ハオミン)くんです。私はお名前も初耳だったのですが・・・。(すっかり芸能ネタについていけないおばさん)

logo.jpg

読者諸姉のお眼鏡にはかないますでしょうか?私の第一印象は「ぶ~●~い~く」!!(ファンの方すみません)なのですが、最近あまりに整形等で異常なまでにきれいになってしまった韓流アイドルを見ていると、「不自然なのはよくないなぁ~」と違和感を感じているので、やはりありのままが一番だと思います。私は90年代の韓国アイドルにはまっていたクチで、あの頃の「ちょいぶさ」君はよかったなぁ~。という見地からは、俞灏明(ユィ・ハオミン)くんにはホッとしたのですが、おばさんの好きなタイプの「ちょいぶさ」ではなかったのだ!

・・・という個人の好みのズレがあるから、万人受けにしようとしてみんな整形してしまうのですかね~。残念な芸能界でございます。

まっ、俞灏明(ユィ・ハオミン)さんも、私に好かれるより佳縁ちゃんに好かれたほうが嬉しいことでしょう!!

第14回口頭弁論(2009/12/22)

火曜日, 6月 29th, 2010

チチハル裁判が事実上の結審(2009年12月22日)
原告・丁樹文さんが最終意見陳述
     弁護団も渾身の思いで国にせまる

被害者は私たちを最後にしてほしい、精神的・肉体的苦痛を味わうことがないようにに・・・丁樹文さん意見陳述

私は1979年にチチハルから190キロ離れた農村で生まれました。妻と娘がいます。事故前にはたくさんの夢がありました。中学にも進学しなかったため、子どもには良い学校にいれたい、自分の家も持ちたい、親孝行もしたい、などというものでした。生活を切り詰め、2年間で3万元を貯金しました。

事故のことを話したいと思います。第一現場となった工事現場で働いていた畢海岩さんから5つのドラム缶が出た、売り物になるからという電話があり、取りにいきました。以前にも畢さんからはくず鉄を買ったことがあるので、この時も三輪車で取りにいきました。5つのドラム缶のうち、ひとつは腐食していて、ひとつはこわれて液体がもれていました。毒ガスとはまったく思いもしませんでした。同僚の高権さんと一緒にドラム缶を手でかかえて運びました。マスタードの臭いがしましたが、廃棄油かと思っていました。そこへ今回の事件で亡くなった李貴珍さんと出くわして、李さんに200元でこのドラム缶を売りました。李さんの三輪車にドラム缶を移しました。その時ドラム缶を手で触りました。李さんは毒ガスをさわった手でお札を数え、私に渡しました。私のお札も湿ってしまいました。

3ケ月入院し、退院してみると、我が子はハイハイができるようになっていました。子どももの成長が唯一の救いでした。妻や子に精神的・経済的負担をかけたことにとても苦しみました。治療もとてもつらいものでした。ますいもかけずに皮膚の水疱をつぶす治療は死んだ方がまし、と思うほどでした。退院後も早く仕事につきたいと就職活動をしました。建築会社、ダンボールの会社などで働こうとしましたが、できませんでした。以前より注意力が散漫になり、記憶力も衰え、体力もなくなっていました。以前軽く持ち上げられたものも持ち上げられなくなってしまいました。光の刺激に過敏になり、傷口も痛むなど仕事になりませんでした。仕事ができないとわかった時のつらさはなんともいえません。自分は役に立たない人間になったのか、と思ったり、家族の期待にも応えられない、というのはとてもつらいことでした。近所の友人・知人は「ブラブラしていてなまけている」とかげで言っていました。見た目の体はガッチリしていて、周囲の人に理解してもらえず、これもつらかったです。事故前の近所つきあいは、家の修理、調味料の貸し借り、食事の招待などをしていましたが、事故後は、みんな離れていきました。公衆浴場に行くと、私の体をみて離れていきます。結婚式に近所皆呼ばれているのに、私の家族だけよばれない、ということもありました。近所の親たちはうちの娘と遊ばせないようにしていました。私の方から、迷惑をかけたくないと考えて、人を避けるようになりました。友だちも少なくなり、ひっこしせざるを得ませんでした。気分的には楽になりましたが、毒ガス被害者と知られるかもしれないという恐怖感はいつもあります。毒ガス被害者ということは隠し通すつもりです。

被害者を代表して述べたいと思います。すべての被害者はそれぞれかけがいのないものを失いました。健康な体、仕事を失い、新しい仕事も見つからない、家族・親戚・助け合ってきた友人、将来の夢、生きる希望も失ってしまいました。皆将来に対しての不安を抱えています。治らない病気をかかえ、どこまで生きていけるのかわかりません。戦後何十年もたつのに、何の罪もない私たちが、なぜこんな被害をうけなければならないのでしょうか。加害者である日本政府は、原因究明もせず、被害者の前で説明もしていません。日本政府からの謝罪も受けていません、謝罪した上で、それにふさわしい弁償をしてほしいと思います。生涯にわたる医療支援、生活支援をしてください。裁判所は正義の判決を信じています。

日本政府は、精神的・肉体的苦痛を同胞が味わうことがないように、中国国内の膨大な化学兵器を処理してほしいです。

被害者は私たちを最後にしてほしい。

弁護士の最終意見陳述

<事実論>
井堀哲弁護士から、事実論についての意見陳述がなされました。本件はチチハルのマンション工事現場から5つのドラム缶が発見され、44名の被害がでて、そのうちの1名が亡くなったという事件です。戦後60年近くたって、ロシア国境近くでおこったものです。被告・国が認めたのは、独ガスは旧日本軍が製造したもの、というだけです。チチハルがどういうところで、なぜ5つのドラム缶がなのか、なぜ放置されたのか、ということについて何も言っていません。この毒ガスは戦争がおわる前後に組織的に隠蔽されたのではないか、ということについても国は何も言っていません。

原告・弁護団・市民の努力でさまざまな事実が判明しています。現場となった場所は東西に民航路、南北につうこう街が走る交差する地点の敷地の西北隅にあります。

ここには戦前、長さ1500m、幅100mのチチハル飛行場がありました。1931年9月に満州事変がはじまり、その年の10月には関東軍がチチハルを占領しています。満州航空株式会社をつくり、チチハル飛行場を建設し、格納庫、兵器処理施設、弾薬庫などを建設していました。2001年10月の時点まで弾薬庫の建物が存在していたことが確認されています。戦争当時、チチハルは対ソ戦略の拠点でした。516部隊という毒ガス部隊、526部隊という訓練隊もチチハルにおかれました。いくつかの毒ガス関連部隊が存在していたのです。ここでは毒ガスの貯蔵、実権演習もおこなわれていました。静岡の浜松飛行場で訓練したものを中心にチチハルでも演習がおこなわれていました。大量の毒ガスが常備されていました。弾薬庫の管理も厳重で、日本の敗戦時にそのまま遺棄されたのです。第三者にひきわたされた形跡はまったくありません。

被告・国はこれらの情報をきちんと収集したかどうかということです。復員局では1950年に調査をしています。部隊ごとの資料を作成し、1954年までに44,934名の聞き取りをしています。第六野戦兵器処では、弾薬を処理したが、武装解除まで間に合わなかった、という記録が残っています。昭和48年に旧軍毒ガス弾全国調査が国内についておこなわれ、敗戦直後に軍命で毒ガスを遺棄した証言がでてきました。このあと国内の調査で被害防止の処置がはかられました。これは国内だけで、国外の調査は実施していません。1999年に日中覚え書きができ、日本政府に廃棄義務が生じたのちも調査をしていません。こんなことが許されるでしょうか。

<国の責任について>
富永由紀子弁護士からは、国の責任についての意見が陳述されました。

この事件は覚え書き後4年でおこった事故です。まず予見可能性についてです。旧日本軍がこの飛行場周辺に配備・遺棄したのははっきりしています。チチハルのことは熟知していたというべきです。戦中、チチハルで大規模な演習がおこなわれていたというのは当時の資料に明記されています。1972年時点でも国内の大久野島で事故がおこり、調査をし、三方原でも調査をしたのに、国外の調査をしませんでした。調査義務を怠ったのです。 次は、結果回避義務についてです。被告・国は予見できたはずです。このチチハルの毒ガス弾が付近の住民に被害をもたらすことは予見できました。チチハルで調査し、毒ガス弾を回収し、無害化することをしなかったのです。97年に化学兵器禁止条約が発効し、99年には、日中の覚え書きもできています。中国国内での事故を防止することはできたはずです。国の責任はあきらかです。

<損害論>
佐藤香代弁護士は、毒ガスが人体に及ぼす影響、社会的な被害について述べました。

これまでの法廷で8人の原告、2名が映像で意見陳述をしたり、尋問に答えたりしました。この身体的状況と毒ガスとの関連は医師の証言もありました。この中で、これまで呼吸器障害、皮膚疾患が中心だった毒ガス被害の症状がそればかりではなく、その他の内科疾患、神経障害にも及んでいることが明らかになりました。視力の低下、目が痛い、頭が痛い、疲れやすい、頻尿、記憶力の低下、勉強ができない、血糖値の異常などの所見が原告の症状からはっきりしました。検診の結果、藤井医師の所見では呼吸器症状では43人中、21人に異常がありました。これはかったん培養検査でわかりました。しかも状況は深刻化していて、予想以上に悪くなっています。発ガン性の危険も指摘され、今後の悪化を防ぐための治療はかかせません。

神経内科の橘田医師の所見では、自律神経の障害がみられ、力がでない、ひんぱんにトイレにいく、などが就労不能の原因になっていると指摘しています。体温、血圧の異常もあり、CVRR検査では、高次脳機能障害もみられると言います。記憶力の低下や目の異常もありました。干さんは事故前には刺繍が得意でしたが、目の見え方の異常で、刺繍をするどころか寝たきりになってしまっています。このような重篤な状態になっている原告らに対して適切な医療体制が必要です。

学校生活や家庭生活も深刻です。陳紫微さんは事故当時10歳でしたが、毎日楽しく学校も家でも生活していましたが、事故後、父と母の関係悪化に悩んでいます。楊樹茂さんは子どもの進学を断念しています。劉国安さんは食卓も別で、一日リビングで過ごし、心が病んでしまったと思っています。

国は、客観的な立証がない、と主張しますが、原告の現実を目の当たりにして、そんなことが言えるでしょうか。平和な時代に生きているのに、毒ガス被害者というレッテルをはられてしまって人生を狂わされたのです。この風評から逃れるために名前まで変えた馮嘉燕さんは「人間の命をもてあそぶな」とこの法廷で述べました。

<相互保証論について>

山下基之弁護士は、国側の主張する「相互保証論」に反論をくわえました。

国側は、中国の国家賠償法には、精神被害についての取り決めがない、上限も決まっているなどと主張しています。日本の国家賠償法の第6条は、この規定が書かれていますが、そもそもこの法は憲法違反の疑いがあります。憲法第17条は「なにびとも・・・」と国籍を問わず、だれにでも国家賠償を請求する権利があることを書いています。原告は日本の国家の行為によって、中国で被害にあいました。現在の人権保障の考え方をすれば、国の主張は失当です。中国でも、現在精神的損害についての国家賠償を検討していて、明文化の動きもあります。実務的には、これも認められています。国際社会での位置を考えるべきです。

<総括>
最後に、小野寺利孝弁護士から、裁判所にむけて、総括的な意見が述べられました。

平和な時代におこった事故で被害にあった原告は、真相を知りたい、と訴えました。しかし、政治決着がはかられ、日本政府は今日まで被害者に謝罪していません。原告らは提訴する以外に道はなかったのです。弁護団は被害のすさまじさを前にこの原告の要求に応えようと調査を重ね、事実を明らかにする活動を続けてきました。しかし、被告・国の態度は遺憾の極みでした。

原告の被害事実の認識は訴状段階と比べても飛躍的に進化しています。被害事実が正確に判決に反映されることを強く望みます。その判決が日中両政府の認識を変える力になるはずだと信じます。

今、原告らの一生を狂わせた加害について、一体誰が法的責任を負うべきか、ということです。裁判官はこの問いかけに答えてほしいと思います。生涯にわたる充実した医療支援と人間の尊厳を保持するに足る生活支援が不可欠であることは誰の目にもあきらかです。判決で勝利するだけでは不十分で、現在の民主党・社民党・国民新党の連立政権は、判決を真摯にうけとめ、新支援策を創設するという政治判断があるという強い期待を抱いています。これは近時のハンセン氏病訴訟、中国「残留孤児」訴訟、トンネルじん肺根絶訴訟、C型肝炎訴訟、原爆訴訟といった制作形成型訴訟は判決を契機に国の政策の抜本的転換をもたらしました。私たちの期待は輝かしい成果をもたらした司法への信頼に基づきます。どうか、原告らの生きる唯一の希望の光を来春しっかり輝かせてください。

第12回口頭弁論(2009/10/19)

火曜日, 6月 29th, 2010

楊樹茂さん本人尋問で、胸悶(胸が圧迫され、息が苦しくなり、体も痛くなる)

はじめは楊樹茂さんの本人尋問です。担当は富永由起子弁護士です。富永さんは、単刀直入に被害事実から尋問にはいりました。楊さんが答えた要旨は次の通りです。

私はひまわりの種を加工する工場を経営していました。自宅兼工場が建設途中でした。自宅の庭にはひまわりの種を加工する機械を庭に置きました。2003年8月4日にトラック5台分の土を買いました。自宅の庭にこの土の山が5つできました。忙しかったので、この土を使っての作業は8月11日におこないました。土の山に昇り、スコップで土をまわりにまきました。その日のうちに右足のかかと、くるぶしの外側、内側、左足のくるぶしの外側に最大3cmほどの水疱ができました。次の日もそのままにしていたら、水疱はだんだん大きくなり、色も濃くなり、目にも異物がはいったように感じて、8月14日に203病院に行きました。そこでは、水疱をつぶす、点滴をするためにベットにしばりつけられる、などの治療をしました。入院は3ケ月に及びました。医者からは「治らない」と言われました。退院して仕事を再開しようとしました。生活があるので、仕事をしなければならないと思いました。しかし、毎日だるさがあり、汗もかき、頭痛もします。

ひまわりの種を商品にするのは、まず種を煎って、送風機で乾燥させます。煎る時の火力も調節しなければなりません。一時も目を離すことができないほどたいへんです。事故に遭う前は一回30kgを30分ぐらいでできたものが、体力がおちて、40分ほどもかかりました。頭痛がして、汗が出て、気持ちがイライラします。力がはいらないのです。事故前には一日400kgもつくっていました。仕事を再開しようとした時、ためしに200kgの種を作りました。次の日に得意先をまわりましたが、誰も声をかけてくれず、商品もまったく売れませんでした。朝7時から午後3時までスーパーや商店、露天商をまわりましたが、一軒も買ってくれませんでした。私が毒ガスの被害者だということが報道され、わかっていたので、買ってくれなかったのです。つらくて悲しかったです。このひまわりの種はゴミとして捨ててしまいました。家に戻り、ベットに横になり、起きられませんでした。もうこの仕事はできないと思いました。

妻もつらい思いをしています。私は他の仕事も探しました。工場の門番のような仕事を探しましたが、雇ってくれるところはありません。 胸悶の症状についてお話します。胸が圧迫され、息が苦しくなり、体も痛くなります。汗が全身に出て、特に手のひらやひたいにでてきます。こうなると、頭痛がしたり、頭がしめつけられるように感じたり、手に力がはいらなくなります。手首がいうことをきかなくなります。こういう症状はいつでるかわかりません。症状がでると気持ちがイライラします。居ても立ってもいられないのです。昔バスケットをやっていましたが、今はまったく体が動きません。

物忘れもひどくなり、買い物に行っても全部そろえられないこともあります。子どもに言われてもできないこともあります。息子の食堂を手伝っていますが、注文をとっても忘れてしまい、やらせてもらえません。以前はこんなことはありませんでした。80軒の得意先を回っても記憶に問題があったことはありません。

経済的にも大変です。事故前は月に4000元から5000元の収入があり、生活には問題ありませんでした。貯金もありました。今は妻のアルバイトの収入が中心です。私の薬代が月に7000元ほどかかります。親戚から借金をしている状態です。借金は20万元もあります。事故の翌年次男は高校を中退しました。大学進学の希望がありましたが、その希望も実現しませんでした。長女も高校を中退しました。子どもからは相談はありませんでした。いきなり学校に行かなくなったのでわかったのです。経済的な理由です。薬も最低限しか買えません。痛み止めぐらいです。免疫力の低下が言われていますが、食事もきちんととれません。症状は日に日に悪化しているように感じます。

父は地主階級だったので、苦労しています。小さい時は貧しかったけれど、努力して両親にいい生活をさせたい、子どもにも良い教育をさせたいと思っていました。この夢が実現寸前になっていたのです。自宅兼工場が完成間近でした。今、父がこんな私をみて、家計を少しでも助けようとゴミ拾いをしています。

私はかつて幸せで安定した家庭がありましたが、今はすべてありません。自分自身、これで終わりにしようと思うこともありました。両親と子どものことを考えるとそれもできませんでした。健康な身体をとり戻したいと思います。この法廷で公正を取り戻したいです。

橘田医師の証人尋問・・・化学物質が血流を通って全身に回っている、毒ガスが原因で神経障害がおこっている

午後は、まず橘田亜由美医師の証人尋問からです。主尋問の担当は佐藤香代弁護士です。最初に「神経内科」についての質問からはじまりました。神経内科というのは何かということを、橘田さんはわかりやすくていねいに答えていました。概要を書きます。

神経内科というのは、脳や脊髄、自律神経のなど高次機能障害についてみます。心療内科、精神科とは違います。心療内科はノイローゼなどの心因性の問題を扱います。精神科というのは、統合失調症などの症状を扱います。私が神経内科になってから5年で、月に400名ほどの患者をみています。

神経の分類と機能についてお話します。中枢神経と末梢神経があります。中枢神経は大脳・脊髄などで高次機能障害にかかわります。末梢神経は自律神経と体性神経にわかれます。体性神経は感覚神経と運動神経に分類されます。

(1)感覚神経のことからはじめます。毒ガス被害は患部だけの神経だと思っていました。しかし、大脳・小脳にも障害があることがわかりました。触覚検査・痛覚検査をしました。皮膚のびらん面の異常感覚だけではなく、全身に異常感覚が広がっています。手足の先端、右半身に異常感覚がある人もいます。化学物質が血流を通って全身に回っているのです。これは水俣病、ヒソ中毒の患者にみられるものです。

(2)運動神経についてです。握力検査、徒手筋力検査をしました。筋力は6段階にわかれます。腕の関節が重力がある状態で曲げられるものを5、まったく曲げられないものを0とします。多くの被害者が3ないし4の状態でした。筋力が弱っていることを示しています。理学療養士が検査をしました。握力については、易疲労性を調べます。10回連続で検査をして、普通は5回までは握力は低下しないのです。しかし、5回検査をしなくても握力の低下がみられました。さらに、もともと握力が低いのです。日本人の平均握力は40~45歳の男声で49ですが、今日尋問にたった楊さんは16.8でした。

(3)自律神経についてです。自律神経というのは副交感神経ともいわれ、血圧をさげたり、脈拍数を調節したりします。この異常については冷水テストで確かめます。冷水に1分間手をつけていて血圧を調べます。普通は血圧があがります。10以上の血圧上昇が普通です。この時血圧上昇が10以下の人は異常と診断されます。またジルマテストといって涙腺の量を調べるテストもしました。涙が少ないのです。自律神経の異常で分泌が少ないのです。ドライアイとよばれる症状です。

自律神経関連では、①発汗の異常です。暑い時など体温調節で発汗しますが、被害者の多くは手のひらに汗をかいたり、暑くないのに汗をかくひや汗のような汗がありました。②頻尿もあります。被害者は比較的若い層が多いので前立腺肥大は考えにくいです。それでも頻尿がありました。このふたつは検診中に現認しています。③インポテンスについても自律神経の関連だと考えられます。性的興奮でも勃起しないのです。この部分では、多角所見は難しいのですが、自律神経障害がでにくい若い集団で多くのデータが得られたのです。

これらの診察から、毒ガスとの関連についてですが、被害後に症状が出たということから考えれば、毒ガスが全身に回っておこったと考えるのが妥当です。生活を疎外する要因になり、就労の疎外要因にもなっています。さらに回復可能性ですが、被爆後6年たっていてもこういう症状がでているということで永続的にこの症状が続くと考えられます。 

(4)高次機能障害についてです。記憶は大脳が司っています。記憶力の検査をするには三宅式検査を行いました。有関係対語を10組提示し、くりかえしてもらいます。海・船、春・秋などというものです。3回やればだいたい全部言えます。しかし、2個、3個ぐらいしか言えないという被害者がほとんどでした。これは短期記憶障害となります。被害者の多くは短期記憶障害と判断されました。毒ガスの成分が大脳に侵入したと考えられます。血液脳関門というバリアがあり、有害物質を脳にいれない機能がありますが、これを超えてしまったということです。知能検査で知能の低下は軽度なのに、記憶障害が目立っています。つまり脳の全般的な力が低下するのではなく、記憶力の部分が低下しているのです。マスタード被害と記憶力障害について記された文献にも80%の被害者に記憶力低下がみられたというのがあります。

また、ものがゆがんで見える、実物より小さく見えるなどの視覚障害もみられました。まともに指をあわせられない視覚失調、目で見ただけでは判断できないでさわってわかるという視覚失認、色盲でないのに色覚障害があるなどというのは大脳性の障害です。脳の広範囲にケミカルな物質がはいったということです。
最後に分類不能の障害についてです。中国語で胸悶(シュンムン)と言われています。少しの労作で発汗し、胸がドキドキしてしめつけられるように感じ、苦しくなって動けなくなる症状です。神経障害の一環だと考えられます。いろいろな自律神経を小さなストレスや刺激されることによっておこります。疲れやすい、力が出ないという易疲労性です。一分間の踏み台昇降やスクワットの検査でも途中でダメになる人が多くありました。

仕事ができない、というのは疲れやすいなど自律神経障害、短期記憶障害と考えられ、被害者の訴えと診断した結果を総合的に判断して自律神経障害と診断してよいと考えます。今後この症状がすすむとは考えにくいですが、二次的に廃用性、筋力低下、抑鬱などで症状がすすむことも考えられます。先例も報告もないのでさらに精度の高い検査たとえばMRIなどをすると良いと思います。そうして原因を明にしてほしいです。さらに被害者は医療的ケアをうけていないので、診察で症状を軽減できるので医療保障はぜひとも必要です。

このあと、国側代理人による反対尋問がありましたが、些末な細かなことを聞くだけでたいした内容はありませんでした。

ビデオ上映・于景芝さん・・・罰をうけているようです。

この日の裁判の最後は今回来日できなかった于景芝さんのビデオ上映です。于さんは自宅の庭を整地しようとして、毒ガス被害にあいました。今年6月に于さんの自宅で撮影したものです。激しく咳が頻繁にでている様子、食欲がでない状態、ベットの上でずっとすごす状況などがリアルに示されました。この中で于さん自身が「入院した方が良いといわれるが、お金がないので家で寝ているだけ」「頭痛がして、頭がしめつけられるようだ」という言葉が印象的でした。

また、ベットの上での検査の様子も映し出されました。色覚異常の検査では、何度も見ていると皆「黒」く見えることがわかりました。また、絵を描いてもらいましたが、その形状を正しく描くことがなかなか難しいこともわかりました。ベットの上にあるものを取ってほしいと言われて、手をだしますが、空をとってしまうという状況も示されました。 ビデオの最後に于さんは「罰を受けているようです。生きていたくありません。子どもたちは杭州に出稼ぎに行っていますが、稼いだお金は皆私のために送ってくれます。私が早く死ねば子どもは楽になります。家には食べ物もありません。夫も苦しんでいます」と言われました。

このビデオは実際の生活の場で原告たち被害者がどんなに苦しんでいるかをリアルにみることができました。証人尋問で橘田先生が証言した事実が映像としても確認することができたと思います。傍聴者はもちろん、裁判官も熱心にビデオをみて被害の実態を肌で感じ取ることができました。

第10回口頭弁論(2009/7/29)

火曜日, 6月 29th, 2010

馮佳縁さん、陳紫薇さん、陳栄喜さん、白玉栄さんの4人へ尋問

7月29日、東京地裁の103号法廷は広い法廷にいっぱいの傍聴者で埋まりました。若い人たちの傍聴が目立ちました。昼食をはさんで午前・午後にわたる法廷では、陳栄喜さん、陳紫薇さん、馮佳縁さんの3人の本人尋問と、佳縁さんのお母さんの白玉栄さんの証人尋問がおこなわれました。

陳栄喜さんへの尋問

まず、午前の尋問は陳栄喜さんの尋問から始まりました。尋問担当は南典男弁護士です。陳さんの事故前の仕事の状況から明かにされました。事故前、陳さんは国営企業の建設現場の責任者として働いていました。70人ほどの労働者の管理・監督などの仕事です。月に2000元ほどの収入がありました。7階建てのアパートは完成すると800元の賞与が出ました。仕事上の夢は小さな会社の社長になることでした。そうすると定年後も基本給の80%を支給されることになっていました。
 次に事故の状況について尋問に答えました。自分の庭を整地するために土を買いました。この土を運ぶ途中に毒ガスの被害にあいました。この作業を手伝った近所の人も、この土の上で遊んだ娘の紫薇さんも被害にあいました。この土が汚染されていたなんて想像できません。

その後203病院で治療を受けました。皮膚が糜爛し、その皮膚をきりとっていく手術をうけました。このまま死んでいくのか、と思いました。命が大丈夫、と思えたのは、入院後20日もしてからです。退院後も体調は良くありません。2007年7月には、血糖値が高いといわれて1ケ月半入院しました。これは日本の検診でわかり、帰国後入院したのです。インシュリンの注射を受けています。2008年5月には、心臓発作で救急車で運ばれました。今も定期的に通院検査をしています。血糖値、心臓の他に肺、腎臓、肝臓、気管支、目の病気、インポテンツがあります。症状は改善されていません。風邪もひきやすく、一ヶ月に2~3回ひきます。気管支が苦しくなることも多く、目はいつもゴロゴロしていて、充血しています。娘の紫薇さんの治療費とあわせると年間10万元にもなります。

仕事は事故で解雇されました。復帰しようとしましたが、疲れて仕事ができませんでした。高い建物の上り下りができないのです。一日やりましたが、ダメでした。就職斡旋所に行きましたが、私のできる仕事はありませんでした。この5月から3ケ月の約束で測量の手伝いをしています。おばの夫の紹介でやっています。

事故前は夫婦仲もよかったのですが、私に収入がない、治療費がかさむ、経済的負担も大きい、夫婦生活もできない、ということで、離婚しました。紫薇さんが泣いて叫びました。はじめ、私といっしょに生活しましたが、その後、紫薇は母と一緒にくらしています。私は一人ぐらしです。

紫薇さんについても尋問に答えました。事故前は成績もよく、活発な女の子でした。事故後ひとりぼっちになることが多く、スポーツもできないし、成績も下がりました。先生の話を聞いても覚えられない、というのです。今年受験に失敗し、職業学校にすすみます。

今後のことについて尋ねられ「まったく考えられない」と言いました。今の仕事1日65元です。薬代に月8000元、生活費に月12000元かかります。中国政府から95万元もらいましたが、今8万元残っているだけです。これからどうするかも考えられないのです。

最後に裁判所に訴えたいこととして発言がありました。毒ガスの被害は娘と二世代にわたってうけました。幸せをこわされました。事故後、身体も弱くなり、労働能力もなく、収入もありません。家族を養うてだてもないのです。娘の一生の幸せも奪われました。父親として、娘に対する期待と夢がなくなりました。一番つらいのは妻と離婚したことです。人並みの父親の責任、夫としての義務も果たせません。今、生きる意欲さえも持てないのです。日本政府は私たちの現実を直視して、一日も早く解決してもらいたい、同じ思いの被害者にきちんとした対応ができるよう裁判所は公正な判決を求めます。

陳紫薇さんへの尋問

続いては娘さんの紫薇さんへの尋問です。担当は菅野園子弁護士です。まず事故前のことから尋問が始まりました。紫薇さんの答えです。

事故にあったのは、小学校3年生、9歳のときです。毒ガス汚染の土とは知らずに遊んでいました。それまでは夕方遅くまで外で遊ぶ毎日で「おてんば」と言われ、わんぱくなこともしたし、比較的活発でおしゃべりでした。走ること、バレーボールが好きでした。運動会でも一等賞をとり、リレーの選手にもなりました。当時は将来体育学校にはいってスポーツ選手になりたいと思っていました。

事故後、2003年11月に退院して、風邪をひきやすくなり、疲れやすく外に遊びにいかなくなりました。しばらくは学校に戻れませんでした。2ケ月後に戻ると、みんなは私のことを避けるようになりました。「うつるのではないか」と言われました。悲しかったです。勉強も覚えるのに時間がかかるようになりました。授業中もぼんやりすごすことが増えました。記憶力が落ちたと感じています。体育の授業に出席はするのですが、走ることができませんでした。せきやたんがひんぱんに出ます。汗が頭、額、鼻の頭、手のひらにでます。風邪の予防の薬を飲んで、できるだけ休んでいます。中学校は家から遠い小学校の同級生がいない中学に行っています。新しい友だちをつくろうとしました。先生も事故のことは知りません。仲間はずれにされたり、避けられたりすることを恐れています。毎日ウソをついているような気持ちです。だまっているのもつらいですが、みんなが私のところから離れていくのがこわいのです。

家族については、事故前はとても楽しい家族でした。事故後この関係が大きく変わりました。父はよく風邪を引くし、前は仕事を休むようなことはありませんでしたが、仕事を休んでいます。父と母もよくケンカをするようになりました。冷えた関係になってしまいました。両親の不仲は誰にも相談できません。2007年に離婚のことを言われました。とても悲しいことでした。母を説得して戻ってもらいました。父と母は口もききません。

進路のことですが、職業学校に入学することにしました。吉林外国語学院に進学します。私のいる中学からは70~80%が普通高校に進学します。私は普通の高校にはついていけないと思いました。病院の医師になりたいと思ったこともあります。しかし、あきらめました。とても悲しいです。事故にあわなければ、と思うこともあります。新しい環境でがんばってみようと思います。将来はとても不安です。

私の身体は元に戻りません。父の身体も戻りません。家庭も戻りません。将来のために公正な判決をお願いします。

昼食後、午後の尋問にはいりました。

馮佳縁さんへの尋問

佳縁さんへの尋問担当は佐藤香代弁護士です。まず事故のことを尋ねました。

今は16歳ですが、10歳のときのことです。事故の日、第五中学の校庭で遊んでいました。たくさんの土があると聞いたので、遊びに行きました。はだしで土の上を登ったり降りたりしていました。その土で船やタンクをつくったりもしました。土の一部を家に持って帰りました。午後1時ごろから夕方まで遊んでいました。夜になると両足が痛み、水泡ができました。とてもこわかったことを覚えています。痛かったです。理由がわかりませんでした。8月6日に203病院に入院しました。水泡の患部をはがしてガーゼをあてるという荒い治療でした。患者が絶叫するうめき声が聞こえました。2003年秋に退院しました。

これで良くなったと思いました。ところが症状の改善はありませんでした。今でも風邪をひきやすいし、息苦しいことがあり、患部がかゆくなります。

学校に行くと「毒ガスに汚染された。彼女に近付くな」と言われました。とてもつらかったです。

事故前は学年で一番走るのが速かったのに、体育の授業が受けられなくなりました。勉強もだんだんついていけなくなりました。記憶力の減退、集中力が落ちるなどを実感しました。成績もよく家でも勉強していましたが、中学3年になり。体調がますます悪くなりました。中学3年では受験もあり、授業の科目も増えます。宿題も多くなります。それについていくことができなくなりました。身体もついていけなくなりました。

今年3月、投げだしたい気持ちになりました。先生の話を聞いていてもどっと疲れ、机につっぷしてしまうこともありました。学校から帰ってもだれとも話したくない、ごはんも食べたくない、という気持ちになりました。高校に行きたいという気持ちが強くありました。大学に行き、いい職業につけば、未来が開けるというのが最終目標でした。しかし、専門学校を選びました。高校に行けば科目も増えるので自信がありませんでした。専門学校の方が科目が少ないのです。これまでは高校に行きたいという気持ちがあったので、残念ですが、専門学校で前向きに努力したいと思います。専門学校はハルピンにあります。環境を変えることになるので良いと思いました。チチハルにいると、みんなが私のことを被害者と知っています。外にでるのはつらいことですが、今年5月には名前も変えました。まわりの人が知らないところで新しい自分をつくりたいと思います。

健康状態は良くありません。夢も失いました。結婚出産もとても心配です。毒ガス被害で未来、理想を失いました。日本の支援者の皆さんにはとても感謝しています。

裁判官には、ごく普通の少女が16歳までに奪われ、残っている自分の苦しみを補ってもらいたいです。二度と戦争が起こらないようにしてほしいでい。
 
日本政府には、中国人の命をもてあそぶな、と言いたい。
佳縁さんの最後の言葉は強く強く聞く者の心に響きわたりました。

最後は佳縁さんのお母さん、白玉栄さんへの尋問です。担当は富永由紀子弁護士です。

白玉栄さんへの尋問

白さんは中学の国語の教師です。佳縁さんのことをお母さんはどうみているか、ということが尋問の中心でした。

佳縁は、休みの日にはよく公園で遊んでいました。他の子より秀でていました。4、5歳のころからアイススケートをやっていて、まわりの人も「この子は天賦がある」と言っていました。3歳のころから唐詩を暗唱していました。親が教えていました。小学校の成績は3段階の優でした。小学校3年生のときは学習委員に選ばれました。運動会ではいつも活躍し、1番でした。子育てで意識していたことは「勉強のことを応援する。スポーツの才能も伸ばしたい」という気持ちでした。2003年9月には体育学校に行く予定でした。体育を職業に持つというあこがれがあり、前途が保障されているということもありました。体育の指導員や体育の教師になれます。体育学校の入試は実技の試験もありますが、合格の可能性がありました。佳縁は目の中にいれても痛くない、人からも好かれる子でした。

2003年8月4日夜から痛みを訴え、深夜には水泡ができてきました。足の甲、裏、土踏まずです。手の甲はまんじゅうのような水泡ができました。足の裏に水泡ができ、土ふまずがふくれあがってそこに水泡ができていました。一晩中眠れなくて夜明けにチチハル第三病院に行きました。そこは漢方の病院でやけどには漢方がいいと聞いていました。最初はやけどだと思ったのです。チチハル市内に毒ガスがあるなんて知りませんでした。

8月6日に203病院に行きました。その日のうちにこの病院から連れ出しました。203病院のベッド、廊下のようすがこわかったのです。周囲は銃を持った警備隊がいました。廊下のあちこちから患者のうめき声が聞こえてきました。患者の患部をはがしたり、はさみで切ったり、ガーゼをあてがったり、という荒治療でした。手続きに回っていたので、佳縁の治療を直接はみていません。戻ってみると、汗はびっしょり、顔は蒼白になっていました。こんなひどい治療は許されないと思い、佳縁を搬入口からこっそり連れ出し、第三病院に戻りました。家族がそばにいて、注射器で膿を吸い取るという治療でした。それでも痛くて耐えられません、見ている方も耐えられませんでした。

現在のようすですが、胸が苦しいと言います。飲む漢方薬やしっぷ薬、点滴などをしています。炎症を抑える西洋の薬も飲んでいます。抵抗力、免疫力をつけるために栄養食品、サプリメント、ビタミン補給剤なども服用しています。薬代に月5000元かかります。退院してから全体として30万元かかっています。中国政府から受け取った給付金は13万元です。

2004年3月に小4に復帰しました。事故前と変わり、人とも話したがらないし、成績も落ちてきました。記憶力、集中力が下がりました。授業中、全身がかゆくなり、集中できないのです。友だちも周囲から去っていき、学校に行きたくないと言い始めました。環境を変えるために引っ越しもしました。近所のお母さんに「あの病気は感染するから近付かないように」と言われたりもしました。病院から出てきたときにマスコミに報道されたので、近所に知られてしまいました。

中学にはいり、佳縁を私のクラスにいれました。クラスでは話しませんでした。彼女はプライドが高く、他の人に知られたくないと思っていしまた。中学一年の時は、他の先生が補習をしてくれたので成績もよかったのですが、中2になって成績が落ちてきました。本人はがんばっていこうと思っていました。しかし、中3になり、科目が増え、朝は6時40分に登校し、夜8時に下校するという状況になり、ついていけなくなりました。姿勢をのばして先生の話を聞いているのが自分では耐えられなくなって机につっぷしてしまうのです。

はじめは大学に行きたいと言っていましたが、ハルピンのコンピューター関連の専門学校に進学を決めました。不本意ながら本人が決めました。その中で彼女なりに勉強してまいす。将来のことはとても不安です。結婚や出産についても本人も不安だと思います。名前を変えて、過去のことを知られないようにしたいという本人の気持ちを尊重し、名前を変えました。

裁判官に対して言いたいこととして最後に次のように述べました。「私の娘は事故にあって、自分の夢・理想がかなえられません。裁判官も一人の人間として考えてほしいです。あなたのお子様が被害にあわれたら、幸せな人生を奪われたとしたら、と考えてください。被害者の立場にたってほしいです。裁判官は正義を重んじ、公正な道理に基づいた判断をしてください」そして「日本政府に対しても歴史の慰留問題を解決してください。中国の大地に遺棄された毒ガスを除去してください。何の罪もない人が被害者になっています。この事故を無駄にしないでください。謝罪・補償をしてください。どんな多額なお金も癒せません。精神面での公正な道理を」と結びました。

表現の自由がない!!!

木曜日, 6月 3rd, 2010

先日の判決日に、丁さんと佳縁ちゃんが思いを語ってくださったので、YouTubeでは映像を公開しました。

しかし、中国のブログなどにはYouTubeは貼り付けられないのです!!

そこで、中国でメジャーな動画公開サイト「優酷」 www.youku.com に貼り付けようとしました。

すると、・・・「ただいま審査中」の文字が。「優酷」では、全ての動画が審査を経なければ公開されず(どんだけ審査の人件費かかってんだ??)、しかも、審査の結果この動画は「不可」でした。

↓ クリックして、また画像をクリックすると大きく見られます。

genron1.JPG

↓↓↓ 「審査の理由」という項目もあるので、クリックしてみましたが・・・「審査の規定により」としか理由がない!!!理由開示の意味ねー!!!!

genron2.JPG

いやはや、日本政府の態度も非常に問題ですが、中国政府の言論規制・弾圧も全くひどいものです。抗議の声をあげていかねばなりません。

佳縁ちゃん無事帰国!

月曜日, 5月 31st, 2010

判決にお越しいただいた皆さま、誠にありがとうございました。 

チチハル裁判の被害者2名は、不当判決に心を痛めてはおりましたが、その後首相官邸前でこの通り毎日ビラ配り、他に有楽町マリオンの前で一般向けにビラ配りもして、世間の関心を高めるため、懸命に活動しました。

birakubari.jpg

5月28日金曜日、馮佳縁ちゃんの方は、飛行機の遅延もありましたが、無事帰国されたそうです。

私は、中国人がみんなIDを持っているという「QQチャット」の番号を佳縁ちゃんにお聞きしまして、さっそく登録したところ、佳縁ちゃんとチャットができるようになりました。!!!感動~~。

しかし、この「QQチャット」、なかなか評判が悪く、ウイルスを媒介するというので、会社ではもちろん禁止。家でも、夫がいい顔をしなかったのですが、何とかメインで使っているマックのマシンでは使わず、予備用のウインドウズマシンで使うことで合意しました。

家では子育てが忙しくてネットにつなげないし、しかも仕舞いこんでいるウインドウズマシンを引っ張り出してきて、なんて、ハードルが高いです・・・。佳縁ちゃんと私が同時にログインすることなんかめったに無いんだろうな・・・。

他の皆さま、ぜひ中国語とQQインストールを頑張って、直接連絡とって見てください!!

ちなみに、昨日は佳縁ちゃんが来ないかずっと待っていたけれどすれ違いで、他の知らない中国人男子学生が話しかけてきて、そっちと盛り上がってしまいました。あまりに中文を打つのが速いので、「ほんとに日本人か?中国人だろ?」っていうやり取りで、だいぶ時間とられました。あー、チャットならそこそこいけるのですが、しゃべりで中国人に間違われるくらいに、早くなりたいです。頑張ります!!

不当判決に原告の怒り

月曜日, 5月 24th, 2010

本日は、原告と支援者にとって、誠に残念な1審敗訴判決が出てしまいました。判決のために希望を持って来日した、原告の佳縁ちゃんの、切実な抗議の言葉をお聞きください!!!

もう一人の来日原告、丁樹文さんも、門前集会で涙まじりの声で訴えかけています。この時は判決直後で、左のほうで完全に佳縁ちゃんは泣いてしまっていました。

原告らの絶望した気持ちに、私たち支援者も、手をこまねいてはいられません。明日からも、街頭行動や首相官邸前ビラ配りなど頑張っていきます。さらなるご支援をよろしくお願いいたします!!

5月23日簡易検診の報告

月曜日, 5月 24th, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

井堀哲弁護士より報告いただきました。★★★ここから★★★

 
5月23日、橘田先生にお越し頂き、カエンちゃん、丁さん両名の簡易検診を行いました。特に、両者とも汗ばむ等の自律神経の以上が看取された上、丁さんについては、三宅式の短期記憶障害のテストで相当悪い結果が出ていました。

マスコミは、TBS、テレ朝、NHKがカメラを回してくれました。

オンエアは不明ですが、皆さん、判決当日も録画の準備を怠りなきようお願いします。

読売も社会部の記者が熱心に取材してくれました。

毎日新聞サイトで紹介

月曜日, 5月 24th, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

化学兵器CAREみらい基金の、岡村さんから情報いただきました。毎日新聞のサイトに、チチハル事件判決の予告記事が出ていました。

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100522ddlk13040327000c.html

判決ももう目前・・・祈るような気持ちです。

原告無事来日!!

日曜日, 5月 23rd, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

5月21日金曜日、丁樹文さん・カエンちゃんは無事に来日しました。その後、定刻通りに事前の記者会見にも出席が出来ました。朝、5時半起きて、二人とも少し疲れたものの、体調は良好だそうです。その後、判決をあすに控え、怒涛のスケジュールが待っていますが・・・。頑張りましょう!!応援、カンパもよろしくお願いいたします!!それにしても、判決はどんな内容になるのか・・・。本当にドキドキ、祈る気持ちです。

100521tochaku.JPG