Archive for 10月, 2009

「支援を広げる」コツ?

金曜日, 10月 30th, 2009

なかなかブログの更新が出来ず、すみません!! 

本日は、まんじゅうでも食べながら、閑話休題・・・。 

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↑ 箱に2段重ね、30個入りぐらいだったまんじゅうを、子ども3人が2分くらいで食べつくし、「ママとパパ合わせて1個だけ残しておいたよ」といわれた、残骸です。ヒドイ・・・。

さて、チチハル裁判の話に戻しましょう。
裁判支援を進めていく中で、「傍聴をたくさんの人に呼びか
けてください」「いろいろな人に、この問題を知ってもらっ
てください」と、いつも呼びかけますよね。

でも、本当に、ご自分のお友だちやお知り合いに、このこと
を話せていますか・・・?

ある若い方は「なかなかこういう固い話は出来ないし、人を
選んで空気を読んで、という難しさがある」と率直におっ
しゃっていました。

多かれ少なかれ、皆さんにも思い当たるのではないでしょうか。

特に、「人から好かれたい、人から好かれる自分であろうとし
て行動している」という人は、なおさらでしょう。

日本人の場合、「人に何と思われてもいいよ」といいきれる人
はなかなかいないと思います。

外国へ行ってみると、「皆が自分勝手、傍若無人ということ
を共通認識にしているから、ある意味自分も思い思いに行動
しやすい」そんな社会もたくさんあります。

伊藤塾のチチハルツアーで始めて訪中した学生さんは、アメ
リカに長く住んだ方ですが、「アメリカ人と中国人のメンタ
リティが、驚くほど似ている」とおっしゃっていました。

良くも悪くもみんなが自己チュー。そんなお国柄です。

いつも、あまりにも人からの評価を気にし、自分の話したい
話題も話せない、という世界は寂しいですよね。

空気を読むよりも、そこにいる一人一人が空気を作りだす・・・。
私は、そういう自由な雰囲気のほうが好きです。

中国語と韓国語と英語と、その他色々な言葉を中途半端に学
んでいる私ですが、言葉を学ぶと、たとえ下手でも、お友だ
ちが飛躍的に増える、それはとても魅力です。

外国の人と友達になろうと思った時に、「下手だけれど、あな
たの国の言葉を学んでいるんです」そういった時に、喜んで
交流してこない外国人はいません。

メール交換しながら言葉も教えてもらえるし、日本人社会の中
でうまく友達が出来なかった私でも、外国人とはすんなり友達
になれた。日本人が気にすることを外国人は全然気にしないで、
意見交換ができた・・・そんな感動もありました。

人付き合いに気負いがなくなって、気がつくと逆に、日本人の
友達も増えていました。いつも「帰国子女ですか?」って必ず
聞かれますけど(笑)。

チチハル事件に関心を持ったことをきっかけに、中国語を少し
でも学んで、被害者やご家族にも直接手紙を書いてみませんか。
カードに一言二言でも、十分伝わると思います。
裁判の時などに、関係者や弁護士に手渡してくだされば転送
できます。

学校で英語を学んでいる学生さんの被害者たちなどは、英語で
も十分通じますよね。

中国社会の問題点も改善し、日本社会の問題点も、一人一人が
改善していく、そんなきっかけができればとても嬉しいです。

楊樹茂さんの証言

日曜日, 10月 25th, 2009

次回の裁判は、11月16日(月)11:00〜 東京地裁103号法廷 です。 

お待たせいたしました、やっと裁判記録の続きです。

10月19日の裁判で証言された、楊樹茂さん(写真中央。右のバンダナの男性は通訳の李楼さん。左端は、三橋医師です)の証言の要旨を紹介します。

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私は、青少年時代に非常に貧乏で苦労し、やっと自分の会社を立ちあげ、人の二倍も三倍も努力して、同業他社に負けない信用を勝ち取って営業していました。工事現場から出てきた土を買取り、自分の家の庭に使用したところ、毒ガス被害に遭いました。

病院で辛い治療をした後退院して、具合は悪かったのですが、生活もあるので、少しでも動けるなら、何かしなければと思って、自分の会社の仕事を再開しました。

ヒマワリの種(食用)を炒る仕事ですが、これは火加減がとても大切で、ずっと注意深く見ている必要があります。火力が足りないと送風機を動かしたり、火を足したりするのです。1回で作れるヒマワリの種の量は、約30キロです。

毒ガス事故に遭う前は、 30キロを約30分で作れていました。しかし、事故後は同じ仕事をしても全く違いました。頭痛と汗、いらだち、下痢で、全く力が入らないのです。30キロ作るのに40分ほどかかりました。全身がだるく、力が出ませんでした。動きが遅く、火加減を調節するのも遅くなってしまいました。集中しての火力調節ということが全くできませんでした。

結局、200キロ作るのに1日かかりました。事故前なら、毎日400キロは作っていました。朝6時に始めて、午後の1時か2時までです。

そして翌日、そんなにして作ったヒマワリの種を持って、妻と一緒に取引先を回りましたが、誰も声もかけてくれず、もちろん商品も買ってくれませんでした。取引先は、30軒〜40軒くらい回りました。スーパー、商店、露天商も。朝7時〜午後3時まで、回ったけれども全く買ってもらえませんでした。

辛く哀しく、泣きたい気持ちでした。妻ももちろん辛くて、悲しみました。体調といえば、全く耐えられないほどでした。家に帰ったらベッドに横になり、起き上がれませんでした。こんなわけで、せっかく無理して作った200キロのヒマワリの種も廃棄し、今までの仕事は続けられなくなりました。何か仕事を探さなければならない・・・と考えて、どこかの工場の門番の仕事を探しました。今までのような、たえず集中して何かをしなければならないような仕事はできないと思われたからです。

しかし、どこへ行っても雇ってくれませんでした。健康な人さえ、労働力が余っている時代です。毒ガス被害者と聞いて雇ってくれるところは全くありませんでした。

以前はバスケットボールをしていたのですが、もうできません。もしやったとしたら、汗、頭痛、下痢で背中も痛くなって、到底できないでしょう。

物忘れもひどくなりました。子供に何かやってくれといわれても、すぐやらないとすぐ忘れてしまいます。 そうすると子供の機嫌も悪くなります。長男の経営している食堂を手伝って、注文を取ったこともありますが、すぐに忘れるのでやらせてもらえなくなりました。

今の家族は、妻と、自分の両親と、次男と長女の6人家族です。その6人家族の生活費を、以前の収入では問題なく出せていましたし、ゆとり、貯金もありました。

しかし、今、借金がかさみ、だいたい20万元ほどになってしまいました。 生きるために借金をせざるを得ませんが、とても耐えられないほどです。やりきれなくて、悲しいです。事故前は、親戚や友達に、むしろ頼られる側だったのに・・・。借りたお金も全く返済のめどが立ちません。薬も買えず、最低限の痛み止めくらいです。

年取った父は、以前は隠居生活で村の年寄りと一緒に楽しく過ごしていましたが、私の事故後、ゴミ拾いの仕事を始めました。2ヶ月前に足が動かなくなってやめました。(ここで、泣き出してしまわれました)

私を含む被害者達への、生活・医療の保障を望みます。そして、二度とこのような被害が出ないようにしてください。私の願いです。

牛さんの証言を追加しました。

金曜日, 10月 23rd, 2009

次回の裁判は、11月16日(月)11:00〜 東京地裁103号法廷 です。 

なかなか裁判記録のアップが進まなくてすみません。

右側のメニューにある「被害者の声」に、伊藤塾のスタディツアーでチチハルを訪ねた際(写真)の、牛海英さんの証言を追加しましたので、ぜひご覧ください。

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(写真左から、被害者の牛海英さん、丁樹文さん、王成さん、ハルビンの羅弁護士、伊藤真塾長、日本側弁護団の南弁護士) 

10月20日に寄せて

火曜日, 10月 20th, 2009

 チチハル8.4事件裁判の報告もまだまだ続きますが、今日は、より昔の毒ガス事件のお話をさせてください。

私が働いている「伊藤塾」のスタディツアーで、去る2009年6月に、ハルビンとチチハルを訪ねましたが、そこで、1974年の毒ガス事件の被害者、李臣さんの被害体験をお話いただきました。

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李さんが事故に遭われたのが、1974年10月20日だそうです。そして、これを書いている私が生まれたのが、1974年10月21日です。明日で35歳になるのはめでたい誕生日・・・。しかし、その35年という、自分で今までの全ての人生を思い返しても結構色々なことがあった長い35年間、李さんが一日も苦しみから解放されることが無く、地獄のような思いを味わい続けてきた。。。そう思うと、たまらない気持ちになります。

2003年、あの事故が起きてしまってからも、6年以上たっていますが、まだまだこれからの10年、20年、30年という日々を考えていかなければなりません。

毒ガスの発ガン性という危険も、お医者さんから指摘していただきました。30年後に、もしかしたらガン患者となられているかもしれない被害者の皆さん。その時に、私たちがちゃんと支援者として活動を続けていられるでしょうか。うわべだけの活動に終わってしまわず、 本当の意味での友情と行動力を持ちつづけられる私たちであるのか。これから私たちの、長い年月の根気と誠意が、試されていくといえます。

そして支援者たちが、被害者の体から毒ガスを取り除くことはできなくても、せめて精一杯の温かい心を示し続けることができるならば、被害者の皆さんの精神力も、少しでも増し、結果的に病魔を遠ざけていけるのではないでしょうか。希望を持って、頑張っていきたいと思います。

裁判報告・速報

月曜日, 10月 19th, 2009

本日の裁判にお越し下さった方がた、ありがとうございました!!

次回の裁判は、11月16日(月)11:00〜 東京地裁103号法廷 です。

さて、本日来られなかった方々のために、まずは簡単な報告を。大きく4つのハイライトがあり、盛りだくさんでした。

(1)原告・楊樹茂さんの、涙無しには聞けない被害状況の陳述。被告側からの反対尋問は無し。

(2)午前の裁判終了・・・と思いきや、小野寺弁護士によるドラマ顔負けの一喝。「被告側代理人の、半分居眠り状況は、法曹自体への信頼を失うもので許せない!!」傍聴人一同、心の中で拍手喝采。

(3)証人・三橋医師の、どのように医学的に判断したのかという説明。被告側からの反対尋問はあったが、万全に準備していった対策に比して、些末な点だけで済んだ。

(4)原告・于景芝さんの、生活状況と、被害状況検査の様子を写したビデオ上映が30分ほど。于さんが来日不可能であるため、陳述に代わるビデオ上映だったが、来日不可能であることを誰もが納得。また、法廷にお呼びしてもなかなかイメージがつかめない、被害者の過酷な生活状況が、ビデオで目の当たりにできた。

終了後は、楊さんを囲んで、報告集会が行われました(写真)。部屋に人があふれかえり、立ち見の人多数でした。

皆さま、もっと詳細が知りたいと思いますが、・・・追ってこのブログでも紹介していきます。

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中国社会の矛盾にも立ち向かう

土曜日, 10月 17th, 2009

10月19日午前11時~東京地裁103号法廷で第12回期日が開かれます。

去る7月26日に行われたシンポジウムの様子もご紹介します。2人の中学生の女の子と、そのお父さんお母さんが、裁判では証言台に立ちました。裁判前日のシンポジウムは、支援者達のために、よりわかりやすく、映像などで被害の実態が紹介されました。

7月のシンポジウム風景

毒ガスにやられた肉体的被害も辛いが、友達にいじめられたり、職場を追われた精神的被害も辛い・・・。そんな声を聞いて、支援者の皆さんが涙を流しておられました。

一方で、こんな疑問を持つ人もいるのではないでしょうか?

「なんで、何の落ち度もなく体に傷を負った障害者をいじめるの?」

「それは、いじめる人、職場から差別し追い立てた人たちも悪いんではないか?」

「中国人、中国社会にも問題があるのではないか?」

あくまで、執筆者個人の私見ですが、この点に関しては、中国人、中国社会の側にも、問題があるかないかといったら、「ある」と思います。

なぜ、中国社会に、そういった心ない殺伐とした慣行ができてしまったか?というと、やはり日本軍の侵略が引き金となって、その後の文化大革命などの過酷な時代を生きてきた、必死で生きてきた人々の生きざまと無関係ではありえません。ある意味、その「心ない人たち」も、とてつもなく大きな何かの「被害者」であるともいえるのです。

最近では、北京オリンピックで見られたような、うわべの都会の豊かさはあります。しかし、人口が増えて自然死が減ってきた中国の都会社会では特に、日本を上回る過酷な学歴競争、就職競争・・・。中国人が幸せになったか、というと、ただ食べ物が十分になったから幸せとは言えず、心の中、精神の面で、かなり暗黒な要素を抱えているとも言えます。

そういった事情を本気で勉強し、自分のこととして問題意識を持つことができたら・・・。中国人や中国社会に確かに問題はある、しかし、むしろ、だからこそ、私たちがチチハル8.4事件の被害者のみなさんと交流を深める必要があるのだと思います。

「私たちは、傷ついている人に、追い打ちをかけるようないじめは行いません。それどころか、傷ついている人と進んで友達になり、支援します。そして、こんな被害が二度と出ないように、積極的に行動します。」

このような姿勢を見せられる日本人こそが、日本の誇りなのではないでしょうか。

ただ外国の問題を批判するのではなく、その中で必死になっている人たちを思いやり、自分の問題として「中国社会をも改善したい」と思う日本人が増えること。そんな真の友好関係ができてこそ、二度と戦争のない世界に一歩近づいていけることでしょう。

置いてきた毒ガス

水曜日, 10月 14th, 2009

10月19日午前11時~東京地裁103号法廷で第12回期日が開かれます。

今日、図書館で本を見つけてショックを受けました。

 『置いてきた毒ガス』相馬一成 草の根出版会 1997 

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1997年出版ですから、 当然2003事件よりも前の本です。チチハルの「526部隊」にいた、輿水幸雄さんの証言も掲載されています。

「私の兵科はいちおう表面的には迫撃砲です。しかし本当は毒ガスが専門ですわ。榴弾もあったが主力はガス。各部隊には歩兵とか工兵とか、色々あるけど。

 どの部隊にもガス班というのがあります。ガスの経験を持った人はそこに配属されます。私はハルビンの隣の阿城に遺棄、敗戦前はハルビンでソ連軍と戦う命令を受けていました。

 私たちは毒ガス弾を持ってハルビンへ行きました。毒ガス弾は箱に二つずつ入っているんですよ。箱には赤とか黄色とかの印が入っている。それを敗戦の時、命令を受けて大隊本部前の塹壕に埋めてきた。埋めたのはガス弾だけ。榴弾は埋めません。そのまま阿城に持って帰ったけど。行く時はガス弾持っていったけど帰りはないんです。内緒にしてました」

 この本のシリーズは「母と子でみる」シリーズと題されていて、写真も載っていて、一般人向けにわかりやすく書かれています。そして、埋まったままの毒ガスの危険性が指摘され、私たちも何とかしなければならないということが、ちゃんと書いてありました。このままでは犠牲者が出ると。・・・

 しかし、ほとんどの日本人は、この本を読みませんでしたし、問題の存在に気付いてもいませんでした。そして、2003年のあの事件が起きてしまって、死者を含む多数の被害者が出てしまった。・・・これは本当に、日本人全体の責任だと思います。

深く反省し、せめてこれからできることとして、チチハル事件の解決に真剣に取り組んでいくことが必須課題だと思います。

 また、新たな犠牲者を出さないための最大限の対策をすること、新たな戦争をしないこと、も大事なことですね。

 「無知は罪である」。本を読んでも読んでも、読むべき本がたくさんあり、私の知らない重大な問題がたくさんあります。でも、目をそらさず、自分のこととして考え続けるしかないですよね。お互いに情報交換しながら頑張っていきましょう!!

2009年10月19日期日案内

金曜日, 10月 9th, 2009

10月19日午前11時~東京地裁103号法廷で第12回期日が開かれます。

今回は、楊樹茂さん(原告の方)、三橋医師、の尋問が行われます。

また、于景芝さん(原告の方)の来日も希望していたのですが、ビデオを編集して証拠として出し、法廷で上映してもらうことになりました。

ぜひ、たくさんの方で傍聴席をいっぱいにしてください。

法廷は午前・午後とございまして、終了後に弁護士開館で報告集会もございます。前回は、全部終了すると17時くらいになりました。

支援をお願いします!

粘土のテントウ虫君からも、支援をお願いします!