2010年5月24日 東京地裁 第1審判決内容

◇ 2010年5月24日 東京地裁 第1審判決

原告の請求を棄却する。(敗訴)

第2 当裁判所の判断

1 請求原因(1)について

証拠(甲209、212、213、214、216の1、221、228の1、229~248、250~266、原告陳栄喜本人、原告陳紫薇本人、原告馮靖雯本人、原告龍国安本人、原告楊樹茂本人、原告李双義本人、原告施青本人、原告王立冬本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

なお、以下で認定する月日の年は、全て平成15年(2003年)である。

(このあと、ほぼ原告側の主張どおりに、被害の事実が認定されています。)

2 請求原因(2)について

(1)前提事実
証拠(認定事実中に掲げたもの)によれば、以下の事実が認められる。

ア 毒ガス兵器に関連する条約

明治40年(1907年)、日本を含む各国により署名された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(ハーグ陸戦条約)は、その附属書である「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」において、毒又は毒を施した兵器を使用することを禁止した(甲1の24頁、乙12の42頁)。日本は、明治44年(1911年)、同条約を批准した。

大正14年(1925年)、日本を含む各国より署名された「窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」(以下「ジュネーブ議定書」という。)において、戦争における毒ガスの使用が禁止された(乙12の102頁、乙25の100頁)。日本は、昭和45年(1970年)、上記議定書を批准した(乙12の107頁)。

イ 旧日本軍による毒ガスの生産

(ア)旧日本陸軍は、昭和4年(1929年)、広島県多くの字間の忠海兵器製造所で毒ガスの生産を開始し、昭和13年(1938年)からは、福岡県の曽根兵器製造所で毒ガスを砲弾に詰めて化学砲弾を製造する作業を開始した(甲1の3頁、甲29の8頁)。
旧日本海軍は、昭和18年(1943年)以降、神奈川県の相模海軍工廠で毒ガスを生産した(甲1の3頁)。
占領期にアメリカ軍が入手した旧日本軍の毒ガス生産量に関する資料等に基づいて、旧日本軍の毒ガスの生産量が7376トンで、化学兵器の海外への配備量が248万8309発であり、そのうちの大部分が中国への配備に当てられたと推定する研究が報告されている(甲1の5~13頁、甲300の39~40頁)。

(イ)旧日本陸軍が製造した毒ガスのうち、糜爛(びらん)性ガス(イペリットガス及びルイサイトガス。イペリットガスはマスタードガスとも呼ばれる。)は「きい剤」、くしゃみ性・嘔吐性ガスは「あか剤」、催涙性ガスは「みどり剤」と呼称されていた(甲1の3~5頁、甲29の7頁、甲300の5~6頁)。「きい剤」が本件事故の原因となった毒ガスである。

ウ 毒ガス兵器の中国への配備・保管

(ア)旧日本軍は、昭和12年(1937年)ころから、日本国内で生産した毒ガス兵器を中国に持ち込んで、中国内に駐留している各軍隊(北支那方面軍、中支那派遣軍、南支那方面軍等)に配備した(甲29の8頁、甲300の20~27頁)。
関東軍は、昭和14年(1939年)、斉々哈爾(チチハル)において、化学兵器の研究、実験業務等を扱う化学部(通称516部隊)を、昭和17年(1942年)、富拉爾基(現在のチチハル市フラルキ区)において、化学兵器の実験業務を行う化学部練習隊(通称526部隊)を、それぞれ編成し、終戦時まで駐屯した(甲54の関東軍化学部略歴、同部練習隊略歴)。

(イ)旧日本軍においては、毒ガス兵器を含む化学兵器は、化学兵器用の特殊格納庫に貯蔵すべきものとされており(甲4の化学兵器取扱細則案36条1項)、日本国内においては、毒ガス兵器が他の弾薬と区別されて地下に保管されることがあった(甲41の58、142,197頁)。

エ 毒ガス兵器の中国における使用

旧日本軍は、日中戦争の開始後、参謀総長からの使用許可の指示に基づき、昭和12年(1937年)7月から「みどり剤」を、昭和13年(1938年)4月から「あか剤」を、昭和14年(1939年)5月から「きい剤」を、それぞれ中国において使用するようになった(甲1の29、30、47頁、甲2、甲300の20頁)。

(以下、続く)

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