01  事件について

2003年8月4日、被害はドラム缶から起こった

2003年8月4日、中国黒龍江省チチハル市内において、団地の地下駐車場建設現場から5つのドラム缶が掘り出され、中から漏れた液体が周辺の土を真っ黒に染めていました。掘り出された時点では、これが何の液体なのかわかるはずもありません。ドラム缶の撤去作業や、真っ黒な土の上で作業は続けられました。その場所で、15人がドラム缶や土から液体を浴びてしまいました。
  さらに、工事現場の従業員が、くず鉄の再利用をする目的で、このドラム缶を近くの廃品回収所に持ち込んだ結果、ドラム缶を解体する作業に参加した10人が液体を浴びてしまいました。
  ドラム缶は、無害化処理のために化学工場へ運ばれましたが、この化学工場でも、1人がドラム缶に近づき、被害にあいました。

汚染された土が移動―被害の拡大―

そして、液体の正体がわからないまま、液体が染み込んだ土が移動し、被害は拡大していきます。
  工事現場近くの駐車場では、駐車場の整地のために汚染された土を購入し、この整地作業に参加した5人が、汚染された土を触ってしまいました。
  また自宅の庭の整地作業をするために工事現場の土を購入し、その整地作業に参加した近隣住民や、その土山で土遊びをした子どもたちなどの8人も被害にあいました。
  さらに、ある中学校の校庭にも、整地をするために汚染土が運び込まれ、この学校に遊びに来た子ども2人が、汚染土の山で土遊びをして被害にあいました。
  その他にも、個人的に自宅の庭を整地するために土を購入した人や、道ばたにあった汚染土に偶然接触した人などからも、3人の被害者が出ました。

猛烈な吐き気、皮膚のびらん、死…

最終的な被害者は44名にのぼり(そのうち13歳以下の子どもが5人)ました。事件直後、液体を浴びた人々は、猛烈な皮膚の痛み・痒み、目の痛み,吐き気に襲われ、数時間後には、毒ガスに接触した皮膚が水疱になり、後にびらん状態となっていきました。被害にあった人々のうち、廃品回収所で液体を掬いだす作業をしていた1名の方は、ほぼ全身に毒ガス液を浴びたため、死亡してしまいました。

黒い液体の正体は、化学兵器=毒ガス

建設現場から掘り起こされたドラム缶に入っていた液体の正体は、イペリット、およびルイサイトと呼ばれる毒ガス液であることが判明しました。イペリットやルイサイトとは、びらん剤(皮膚をただれさせる薬品)の一種である化学兵器のことです。皮膚や粘膜などを冒すほか、細胞分裂の阻害を引き起こし、さらに発がん性を持ちます。さらにこれら毒ガスは、旧日本軍が第2次世界大戦中に秘密裏に製造し、遺棄したものであることが、判明しました。

根本治療法のない毒ガス被害

イペリットは、目や毛穴、呼吸器から体内に容易に侵入し、全身の細胞を急速に破壊してしまいます。しかも、特効薬がなく、その治療は対症療法に頼らざるを得ません。
  そして、被害者たちは、事件から2年が経過しようとしている現在に至っても、さまざまな毒ガスの中毒障害に苦しめられています。このように深刻な被害状況のため,ほとんどの被害者が現在も就労に復帰できず、収入を得る道を閉ざされています。

誤解・差別による二次被害

さらに被害者は、「イペリット中毒は感染する」という世間の誤った噂のために、近隣の住民や,友人,親戚からも差別されるという、二次被害にも遭っている。被害を受けた人のなかには、13歳以下の子が5人います。彼らの中には、退院後復学する際に、クラスメートの保護者から「感染しないという証明書を出して欲しい」と要求された子もいます。
  こうした周囲から誤解・差別があるために、被害者の多くが,公の場に出ることを恐れ、孤独な生活を強いられています。

「私の夢は、もう叶わない……」

「私の夢はもう叶わなくなってしまいました。」被害者の一人である、女の子の言葉です。別の男の子は、将来サッカーの選手になるのが夢でしたが、足に集中的に被害を受けてしまったため、もう十分に走ることはできません。
  事故後、子どもたちはみな一様に、記憶力・集中力の低下に悩まされ授業に思うようについていくことができなくなったり、友人からの心ない対応のために、辛く寂しい学校生活を強いられています。
  この事件のために、子どもたちの将来は一瞬で奪われてしまったのです。

日本政府による調査

「チチハル事件」発生後、日本政府は調査団を編成し、工事現場から発見されたドラム缶が旧日本軍の遺棄化学兵器のものであるか、調査をしました。その結果、ドラム缶の大きさ・形状・造りから、ドラム缶が旧日本軍の「きい剤補給容器Ⅰ型」と同一であること、内容物は旧日本軍が製造したびらん剤の「きい剤(マスタードとルイサイトの混合物)」と確認されました。

日中間の覚書の内容

工事現場から見つかったドラム缶が、旧日本軍のものである事が確認されたため、日中政府間で協議が行われ、2003年10月19日確認文書(03年確認文書)が交わされました。確認文書の中ではまず今回の事故での被害が確認され、「日本国政府が真剣に対応し、適切に処理し、迅速に解決しなければならない旨表明(第2項)」し、「日本国政府は……5つのドラム缶が日本の遺棄化学兵器であると認定し(第3項)」、「本件事故との関連で日本国政府は遺棄化学兵器処理事業にかかわる費用として3億円を支払う旨表明(第4項)」をしました。 そして、日中両政府はこの確認文書で「本件事故に係わる善後処理の問題の最終的な解決を確認し(第4項)」た旨も表明しています。

日本政府から支出された3億円の評価

前述の「確認文書」のとおり、日本政府は中国政府に対して3億円を支出し、その9割が被害者の手に渡りました。
 それでは、その3億円は被害者に対する謝罪や賠償の意味で支出されたものでしょうか?
 まず、日中間の覚書文書にあるように、日本政府は3億円を「遺棄化学処理事業にかかわる費用」として支払っています。国会答弁(2004年3月31日参議院決算委員会)において、日本政府はその内訳を「汚染現場の除去作業に要した人件費などの費用(外務省アジア太平洋州局長)」「医療データの収集などに中国側が要した費用(内閣府遺棄化学兵器処理担当室長)」と説明しています。ここから、日本政府が被害者に対して「生活保障」「医療保障」として支払うとすることを避けた事が伺えます。
 このように、遺棄化学処理事業からの3億円の支払いは、日本政府が「8・4チチハル事件」を日本の遺棄化学兵器処理の過程で生じた事故であると認めている点で評価できますが、被害者に謝罪や賠償の意をこめて支払われたわけではない点で問題が残ります。
 被害者44名の生活を保障し、健康を悪化させないための必要な医療を受けるには3億円では十分な金額ではないという問題があります。具体的には、事故から1年余りを経過した時点で既に受領した金額の2分の1から4分の1を医療費や生活費に使ってしまった被害者もたくさんいます。彼らの多くが、現在就労不能であり、現在もなお、症状の改善が見られません。被害者達は、今後も就労不能状態の継続、将来の症状悪化を恐れています。そして、将来の生活資金、医療資金を少しでも確保しようと、必要な検診、医療を受けることを差し控えています。このような被害者の生活を考えれば更なる医療支援、生活支援が必要なのではないでしょうか。