第10回口頭弁論(2009/7/29)

6月 29th, 2010

馮佳縁さん、陳紫薇さん、陳栄喜さん、白玉栄さんの4人へ尋問

7月29日、東京地裁の103号法廷は広い法廷にいっぱいの傍聴者で埋まりました。若い人たちの傍聴が目立ちました。昼食をはさんで午前・午後にわたる法廷では、陳栄喜さん、陳紫薇さん、馮佳縁さんの3人の本人尋問と、佳縁さんのお母さんの白玉栄さんの証人尋問がおこなわれました。

陳栄喜さんへの尋問

まず、午前の尋問は陳栄喜さんの尋問から始まりました。尋問担当は南典男弁護士です。陳さんの事故前の仕事の状況から明かにされました。事故前、陳さんは国営企業の建設現場の責任者として働いていました。70人ほどの労働者の管理・監督などの仕事です。月に2000元ほどの収入がありました。7階建てのアパートは完成すると800元の賞与が出ました。仕事上の夢は小さな会社の社長になることでした。そうすると定年後も基本給の80%を支給されることになっていました。
 次に事故の状況について尋問に答えました。自分の庭を整地するために土を買いました。この土を運ぶ途中に毒ガスの被害にあいました。この作業を手伝った近所の人も、この土の上で遊んだ娘の紫薇さんも被害にあいました。この土が汚染されていたなんて想像できません。

その後203病院で治療を受けました。皮膚が糜爛し、その皮膚をきりとっていく手術をうけました。このまま死んでいくのか、と思いました。命が大丈夫、と思えたのは、入院後20日もしてからです。退院後も体調は良くありません。2007年7月には、血糖値が高いといわれて1ケ月半入院しました。これは日本の検診でわかり、帰国後入院したのです。インシュリンの注射を受けています。2008年5月には、心臓発作で救急車で運ばれました。今も定期的に通院検査をしています。血糖値、心臓の他に肺、腎臓、肝臓、気管支、目の病気、インポテンツがあります。症状は改善されていません。風邪もひきやすく、一ヶ月に2~3回ひきます。気管支が苦しくなることも多く、目はいつもゴロゴロしていて、充血しています。娘の紫薇さんの治療費とあわせると年間10万元にもなります。

仕事は事故で解雇されました。復帰しようとしましたが、疲れて仕事ができませんでした。高い建物の上り下りができないのです。一日やりましたが、ダメでした。就職斡旋所に行きましたが、私のできる仕事はありませんでした。この5月から3ケ月の約束で測量の手伝いをしています。おばの夫の紹介でやっています。

事故前は夫婦仲もよかったのですが、私に収入がない、治療費がかさむ、経済的負担も大きい、夫婦生活もできない、ということで、離婚しました。紫薇さんが泣いて叫びました。はじめ、私といっしょに生活しましたが、その後、紫薇は母と一緒にくらしています。私は一人ぐらしです。

紫薇さんについても尋問に答えました。事故前は成績もよく、活発な女の子でした。事故後ひとりぼっちになることが多く、スポーツもできないし、成績も下がりました。先生の話を聞いても覚えられない、というのです。今年受験に失敗し、職業学校にすすみます。

今後のことについて尋ねられ「まったく考えられない」と言いました。今の仕事1日65元です。薬代に月8000元、生活費に月12000元かかります。中国政府から95万元もらいましたが、今8万元残っているだけです。これからどうするかも考えられないのです。

最後に裁判所に訴えたいこととして発言がありました。毒ガスの被害は娘と二世代にわたってうけました。幸せをこわされました。事故後、身体も弱くなり、労働能力もなく、収入もありません。家族を養うてだてもないのです。娘の一生の幸せも奪われました。父親として、娘に対する期待と夢がなくなりました。一番つらいのは妻と離婚したことです。人並みの父親の責任、夫としての義務も果たせません。今、生きる意欲さえも持てないのです。日本政府は私たちの現実を直視して、一日も早く解決してもらいたい、同じ思いの被害者にきちんとした対応ができるよう裁判所は公正な判決を求めます。

陳紫薇さんへの尋問

続いては娘さんの紫薇さんへの尋問です。担当は菅野園子弁護士です。まず事故前のことから尋問が始まりました。紫薇さんの答えです。

事故にあったのは、小学校3年生、9歳のときです。毒ガス汚染の土とは知らずに遊んでいました。それまでは夕方遅くまで外で遊ぶ毎日で「おてんば」と言われ、わんぱくなこともしたし、比較的活発でおしゃべりでした。走ること、バレーボールが好きでした。運動会でも一等賞をとり、リレーの選手にもなりました。当時は将来体育学校にはいってスポーツ選手になりたいと思っていました。

事故後、2003年11月に退院して、風邪をひきやすくなり、疲れやすく外に遊びにいかなくなりました。しばらくは学校に戻れませんでした。2ケ月後に戻ると、みんなは私のことを避けるようになりました。「うつるのではないか」と言われました。悲しかったです。勉強も覚えるのに時間がかかるようになりました。授業中もぼんやりすごすことが増えました。記憶力が落ちたと感じています。体育の授業に出席はするのですが、走ることができませんでした。せきやたんがひんぱんに出ます。汗が頭、額、鼻の頭、手のひらにでます。風邪の予防の薬を飲んで、できるだけ休んでいます。中学校は家から遠い小学校の同級生がいない中学に行っています。新しい友だちをつくろうとしました。先生も事故のことは知りません。仲間はずれにされたり、避けられたりすることを恐れています。毎日ウソをついているような気持ちです。だまっているのもつらいですが、みんなが私のところから離れていくのがこわいのです。

家族については、事故前はとても楽しい家族でした。事故後この関係が大きく変わりました。父はよく風邪を引くし、前は仕事を休むようなことはありませんでしたが、仕事を休んでいます。父と母もよくケンカをするようになりました。冷えた関係になってしまいました。両親の不仲は誰にも相談できません。2007年に離婚のことを言われました。とても悲しいことでした。母を説得して戻ってもらいました。父と母は口もききません。

進路のことですが、職業学校に入学することにしました。吉林外国語学院に進学します。私のいる中学からは70~80%が普通高校に進学します。私は普通の高校にはついていけないと思いました。病院の医師になりたいと思ったこともあります。しかし、あきらめました。とても悲しいです。事故にあわなければ、と思うこともあります。新しい環境でがんばってみようと思います。将来はとても不安です。

私の身体は元に戻りません。父の身体も戻りません。家庭も戻りません。将来のために公正な判決をお願いします。

昼食後、午後の尋問にはいりました。

馮佳縁さんへの尋問

佳縁さんへの尋問担当は佐藤香代弁護士です。まず事故のことを尋ねました。

今は16歳ですが、10歳のときのことです。事故の日、第五中学の校庭で遊んでいました。たくさんの土があると聞いたので、遊びに行きました。はだしで土の上を登ったり降りたりしていました。その土で船やタンクをつくったりもしました。土の一部を家に持って帰りました。午後1時ごろから夕方まで遊んでいました。夜になると両足が痛み、水泡ができました。とてもこわかったことを覚えています。痛かったです。理由がわかりませんでした。8月6日に203病院に入院しました。水泡の患部をはがしてガーゼをあてるという荒い治療でした。患者が絶叫するうめき声が聞こえました。2003年秋に退院しました。

これで良くなったと思いました。ところが症状の改善はありませんでした。今でも風邪をひきやすいし、息苦しいことがあり、患部がかゆくなります。

学校に行くと「毒ガスに汚染された。彼女に近付くな」と言われました。とてもつらかったです。

事故前は学年で一番走るのが速かったのに、体育の授業が受けられなくなりました。勉強もだんだんついていけなくなりました。記憶力の減退、集中力が落ちるなどを実感しました。成績もよく家でも勉強していましたが、中学3年になり。体調がますます悪くなりました。中学3年では受験もあり、授業の科目も増えます。宿題も多くなります。それについていくことができなくなりました。身体もついていけなくなりました。

今年3月、投げだしたい気持ちになりました。先生の話を聞いていてもどっと疲れ、机につっぷしてしまうこともありました。学校から帰ってもだれとも話したくない、ごはんも食べたくない、という気持ちになりました。高校に行きたいという気持ちが強くありました。大学に行き、いい職業につけば、未来が開けるというのが最終目標でした。しかし、専門学校を選びました。高校に行けば科目も増えるので自信がありませんでした。専門学校の方が科目が少ないのです。これまでは高校に行きたいという気持ちがあったので、残念ですが、専門学校で前向きに努力したいと思います。専門学校はハルピンにあります。環境を変えることになるので良いと思いました。チチハルにいると、みんなが私のことを被害者と知っています。外にでるのはつらいことですが、今年5月には名前も変えました。まわりの人が知らないところで新しい自分をつくりたいと思います。

健康状態は良くありません。夢も失いました。結婚出産もとても心配です。毒ガス被害で未来、理想を失いました。日本の支援者の皆さんにはとても感謝しています。

裁判官には、ごく普通の少女が16歳までに奪われ、残っている自分の苦しみを補ってもらいたいです。二度と戦争が起こらないようにしてほしいでい。
 
日本政府には、中国人の命をもてあそぶな、と言いたい。
佳縁さんの最後の言葉は強く強く聞く者の心に響きわたりました。

最後は佳縁さんのお母さん、白玉栄さんへの尋問です。担当は富永由紀子弁護士です。

白玉栄さんへの尋問

白さんは中学の国語の教師です。佳縁さんのことをお母さんはどうみているか、ということが尋問の中心でした。

佳縁は、休みの日にはよく公園で遊んでいました。他の子より秀でていました。4、5歳のころからアイススケートをやっていて、まわりの人も「この子は天賦がある」と言っていました。3歳のころから唐詩を暗唱していました。親が教えていました。小学校の成績は3段階の優でした。小学校3年生のときは学習委員に選ばれました。運動会ではいつも活躍し、1番でした。子育てで意識していたことは「勉強のことを応援する。スポーツの才能も伸ばしたい」という気持ちでした。2003年9月には体育学校に行く予定でした。体育を職業に持つというあこがれがあり、前途が保障されているということもありました。体育の指導員や体育の教師になれます。体育学校の入試は実技の試験もありますが、合格の可能性がありました。佳縁は目の中にいれても痛くない、人からも好かれる子でした。

2003年8月4日夜から痛みを訴え、深夜には水泡ができてきました。足の甲、裏、土踏まずです。手の甲はまんじゅうのような水泡ができました。足の裏に水泡ができ、土ふまずがふくれあがってそこに水泡ができていました。一晩中眠れなくて夜明けにチチハル第三病院に行きました。そこは漢方の病院でやけどには漢方がいいと聞いていました。最初はやけどだと思ったのです。チチハル市内に毒ガスがあるなんて知りませんでした。

8月6日に203病院に行きました。その日のうちにこの病院から連れ出しました。203病院のベッド、廊下のようすがこわかったのです。周囲は銃を持った警備隊がいました。廊下のあちこちから患者のうめき声が聞こえてきました。患者の患部をはがしたり、はさみで切ったり、ガーゼをあてがったり、という荒治療でした。手続きに回っていたので、佳縁の治療を直接はみていません。戻ってみると、汗はびっしょり、顔は蒼白になっていました。こんなひどい治療は許されないと思い、佳縁を搬入口からこっそり連れ出し、第三病院に戻りました。家族がそばにいて、注射器で膿を吸い取るという治療でした。それでも痛くて耐えられません、見ている方も耐えられませんでした。

現在のようすですが、胸が苦しいと言います。飲む漢方薬やしっぷ薬、点滴などをしています。炎症を抑える西洋の薬も飲んでいます。抵抗力、免疫力をつけるために栄養食品、サプリメント、ビタミン補給剤なども服用しています。薬代に月5000元かかります。退院してから全体として30万元かかっています。中国政府から受け取った給付金は13万元です。

2004年3月に小4に復帰しました。事故前と変わり、人とも話したがらないし、成績も落ちてきました。記憶力、集中力が下がりました。授業中、全身がかゆくなり、集中できないのです。友だちも周囲から去っていき、学校に行きたくないと言い始めました。環境を変えるために引っ越しもしました。近所のお母さんに「あの病気は感染するから近付かないように」と言われたりもしました。病院から出てきたときにマスコミに報道されたので、近所に知られてしまいました。

中学にはいり、佳縁を私のクラスにいれました。クラスでは話しませんでした。彼女はプライドが高く、他の人に知られたくないと思っていしまた。中学一年の時は、他の先生が補習をしてくれたので成績もよかったのですが、中2になって成績が落ちてきました。本人はがんばっていこうと思っていました。しかし、中3になり、科目が増え、朝は6時40分に登校し、夜8時に下校するという状況になり、ついていけなくなりました。姿勢をのばして先生の話を聞いているのが自分では耐えられなくなって机につっぷしてしまうのです。

はじめは大学に行きたいと言っていましたが、ハルピンのコンピューター関連の専門学校に進学を決めました。不本意ながら本人が決めました。その中で彼女なりに勉強してまいす。将来のことはとても不安です。結婚や出産についても本人も不安だと思います。名前を変えて、過去のことを知られないようにしたいという本人の気持ちを尊重し、名前を変えました。

裁判官に対して言いたいこととして最後に次のように述べました。「私の娘は事故にあって、自分の夢・理想がかなえられません。裁判官も一人の人間として考えてほしいです。あなたのお子様が被害にあわれたら、幸せな人生を奪われたとしたら、と考えてください。被害者の立場にたってほしいです。裁判官は正義を重んじ、公正な道理に基づいた判断をしてください」そして「日本政府に対しても歴史の慰留問題を解決してください。中国の大地に遺棄された毒ガスを除去してください。何の罪もない人が被害者になっています。この事故を無駄にしないでください。謝罪・補償をしてください。どんな多額なお金も癒せません。精神面での公正な道理を」と結びました。

第9回口頭弁論(2009/5/11)

6月 29th, 2010

第9回口頭弁論で、被害状況の陳述(2009年5月11日)

5月11日、東京地裁の大法廷は遺棄毒ガスチチハル訴訟の原告代理人の準備書面の朗読がおこなわれました。佐藤香代弁護士からは被害の実態と現状を医学的見地から実証しました。

まず被害直後の悲惨な状況について述べました。

被害者全員が軍の203病院に隔離されました。この状況は事故から11日後に日本政府が派遣した調査団の報告書にも述べられています。この報告書によっても悲惨な状況は明かです。

被害者の中で唯一亡くなった方の状況は次のようです。受診時30%程度だった皮膚損傷が急速に95%に拡大し、ほぼ全身が糜爛するに至りました。血小板と白血球が著しく低下し、重症の敗血症で、急性心不全をおこし、事故後15日で亡くなったのです。

このように初期段階の調査で志望者と同程度の「特重度」に分類された原告は4人いました。この他にこの報告書では、重度16人、中程度11人、軽程度は12人とされました。

佐藤弁護士は、次に一向に改善しない慢性症状について述べました。事故から5年以上経過しても全身に複合的な健康被害をかかえています。

①呼吸器の疾患。毒ガスによる呼吸器疾患花街時間をかけて進行するといわれていますが、多くの被害者がこの症状をまわりがわかるくらいに進行しています。

②免疫力の低下。骨髄抑制の状態にある原告もいます。

③高血糖の状態。事故当時小学生だった原告も高血糖になっています。

④神経障害も深刻です。しびれ等の感覚異常、筋力の低下、自律神経の障害も認められたり、脳に対する生涯である高次脳機能障害も確認されています。

さらにこの総体として「易疲労性の問題」もあります。ほぼすべての原告が「疲れやすい」「動けなくなる」状況を訴え、胸が苦しくなる(胸悶・・・中国語でシュンムン)を訴える状況です。ある原告は「びらんがおきた陰嚢と足首は今もかゆく、湿っています。心まで伝わってくるようなかゆみです。咳はほぼ毎日でます。視力も低下しました。ものがぼやけて二重にみえます。ピントも調節できないし、まぶしさを強く感じます。性的な能力も落ちて、夫婦生活に支障をきたしています。シュンムンが出た時には、深夜でも耐え難く、外にでたりします。睡眠時間も今は3~4時間ぐらいです」などと述べています。

毒ガスの被害は、時間がたってだんだん改善されるというものではありません。毒ガス被害の恐ろしさは心臓疾患です。心臓に異常がある原告の多くは40歳代前半です。そしてもっとも恐れるのは発ガンです。検診を担当した医師も、今後必ず発ガンの問題が浮上すると警告しています。

次に全人生的な被害の状況を菅野弁護士から論述されました。被害者は事故当時学生だった者を除いて全員が就労していました。しかし事故後、易疲労性、筋力低下、眼障害、記憶力や集中力の低下などの複合的身体的被害のために、それまで従事していた仕事を失ってしまいました。

事故の2年前にチチハルに出てきた貧しい農民だった原告は、チチハルで廃品回収の仕事をおこない、鉄屑、貴金属を集め、売却することをおこなっていました。30キロの荷物をもっても平気で、収入も増え、くらしの見通しもでてきたといいます。ところが事故後10キロの荷物をもっても動悸がして休まなければならなくなったり、薪を斧で細かくするだけの作業も5分斗続かない状態で、力がはいらない、全身がだるい、などで就労できなくなりました。仕事ができなくなるということは収入が減っていくということで家族の生活にも影響がでていきます。一家の支え手としての役割を失ったことによる精神的苦痛も広がっています。ある原告の息子さんは大学入試に合格しましたが、経済的な紙上で進学を断念しました。

子どもの状況も深刻です。退院後、復学しましたが、黒板の字がみえない、記憶力が落ちた、風邪をひきやすいなどの状況にくわえ、まわりの友だちから「イペリット中毒」「伝染する」などといわれ、一緒に遊んでもらえなくなったりしています。まわりの風評被害も深刻です。身体的被害への無理解・・・「なまけ者だと誤解」、伝染するという誤った偏見、被害者自身の性格変化などが原因で友人関係の破綻もおこしています。ある原告はまわりの保護者から「登校させるな」という抗議があり、教室でも席を離されて授業を受けるなどによるなどで退学せざるを得なくなった原告もいます。

経済的な状態に言及すれば、収入がないので、政府からの給付金がなくなったら「死ぬしかない」という原告もいます。医療費の問題も大きいです。中国の医療費は高額で、保険制度の適用を受けないチチハル被害者たちは全額自己負担になっています。乏しい収入と莫大な医療費で生活困難は事故前とはくらべることのできないほど悪化しています。この状況は今後改善される見通しはありません。将来への不安をすべての原告がかかえています。仕事のこと、家族のこと、友人のこと、「事故の後、本当にすべてのことが変わってしまいました」と15歳の原告が語る言葉は深い悲しみと無力感を表すものです。

裁判所は深刻な被害を受け止め、救済の手をさしのべるべき、と菅野弁護士は結びました。

このあと報告集会にうつりました。その中で井堀弁護士は、参加者の質問にこたえ、この裁判の意義について「被害者の救済、遺棄毒ガス弾の処理は政治的に解決しなければならない問題です。一方で政治解決のはたらきかけを強めていますが、裁判で勝利することで、政治解決への弾みをつけていくことになります」と述べました。

チチハル8.4事件、訴状「請求の原因」

6月 29th, 2010

3 訴状において原告らが2の裁判を求める理由(「請求の原因」)

日本政府が賠償の法的責任を負う理由につき訴状は概ね以下のように述べています。

① 化学兵器の遺棄という先行行為に基づく危険除去の作為義務
そもそも、本件の原因は、旧日本軍が中国に配備した毒ガス兵器であり(日本政府も認める)、これは旧日本軍が敗戦時に遺棄したものと推測されます。
日本政府は、毒ガスという非人道的な兵器を製造・遺棄し、人の生命・身体に重大な危険を生ぜしめる行為を行った(先行行為)以上、その危険を除去し被害を防止すべき作為義務を負っていたものと言わねばなりません(危険除去の作為義務)。

② 日本政府は被害の予見ができたし、結果回避措置をとることもできた
日本政府としては、中国各地で毒ガスを配備し敗戦時に遺棄を指示した以上、毒ガス被害発生の予見は可能でしたし(予見可能性)、毒ガスが遺棄された危険な地域について情報収集をし中国政府に伝える等の措置をとれば本件のような毒ガスによる悲惨な事故発生を回避することも可能でした(結果回避可能性)。

③ しかるに、日本政府は、敗戦時から戦後60年余の間も、また前記の1999年の日中の覚書以後においても、毒ガスが遺棄されている地域について情報収集をする等の努力をするどころか、却って毒ガス兵器に関する資料を焼却するなどして重要な情報を隠滅・隠蔽する行為を行い危険除去を困難にしてきたのです。
これは、前述した危険除去の作為義務に違反したものであり、日本政府が、被害救済の責任を負わねばならない理由はここにあります。

④ こうした違法行為により、原告らは、毒ガスによる、完治不可能で、進行性・遅発性の重大な身体的被害とともに、就労不能等の様々な社会的・精神的被害をも含めた全人生被害ともいうべき損害を被っており、日本政府はこれに対する責任を負わねばなりません。

「裁判記録」書き加えました。

6月 24th, 2010

更新が久しく滞り申し訳ありません。右側メニューの「裁判記録」のところを書き加えました。でもまだまだ初期の頃のが追いついていないので、引き続き頑張ります。宜しくお願いいたします!!!

表現の自由がない!!!

6月 3rd, 2010

先日の判決日に、丁さんと佳縁ちゃんが思いを語ってくださったので、YouTubeでは映像を公開しました。

しかし、中国のブログなどにはYouTubeは貼り付けられないのです!!

そこで、中国でメジャーな動画公開サイト「優酷」 www.youku.com に貼り付けようとしました。

すると、・・・「ただいま審査中」の文字が。「優酷」では、全ての動画が審査を経なければ公開されず(どんだけ審査の人件費かかってんだ??)、しかも、審査の結果この動画は「不可」でした。

↓ クリックして、また画像をクリックすると大きく見られます。

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↓↓↓ 「審査の理由」という項目もあるので、クリックしてみましたが・・・「審査の規定により」としか理由がない!!!理由開示の意味ねー!!!!

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いやはや、日本政府の態度も非常に問題ですが、中国政府の言論規制・弾圧も全くひどいものです。抗議の声をあげていかねばなりません。

佳縁ちゃん無事帰国!

5月 31st, 2010

判決にお越しいただいた皆さま、誠にありがとうございました。 

チチハル裁判の被害者2名は、不当判決に心を痛めてはおりましたが、その後首相官邸前でこの通り毎日ビラ配り、他に有楽町マリオンの前で一般向けにビラ配りもして、世間の関心を高めるため、懸命に活動しました。

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5月28日金曜日、馮佳縁ちゃんの方は、飛行機の遅延もありましたが、無事帰国されたそうです。

私は、中国人がみんなIDを持っているという「QQチャット」の番号を佳縁ちゃんにお聞きしまして、さっそく登録したところ、佳縁ちゃんとチャットができるようになりました。!!!感動~~。

しかし、この「QQチャット」、なかなか評判が悪く、ウイルスを媒介するというので、会社ではもちろん禁止。家でも、夫がいい顔をしなかったのですが、何とかメインで使っているマックのマシンでは使わず、予備用のウインドウズマシンで使うことで合意しました。

家では子育てが忙しくてネットにつなげないし、しかも仕舞いこんでいるウインドウズマシンを引っ張り出してきて、なんて、ハードルが高いです・・・。佳縁ちゃんと私が同時にログインすることなんかめったに無いんだろうな・・・。

他の皆さま、ぜひ中国語とQQインストールを頑張って、直接連絡とって見てください!!

ちなみに、昨日は佳縁ちゃんが来ないかずっと待っていたけれどすれ違いで、他の知らない中国人男子学生が話しかけてきて、そっちと盛り上がってしまいました。あまりに中文を打つのが速いので、「ほんとに日本人か?中国人だろ?」っていうやり取りで、だいぶ時間とられました。あー、チャットならそこそこいけるのですが、しゃべりで中国人に間違われるくらいに、早くなりたいです。頑張ります!!

不当判決に原告の怒り

5月 24th, 2010

本日は、原告と支援者にとって、誠に残念な1審敗訴判決が出てしまいました。判決のために希望を持って来日した、原告の佳縁ちゃんの、切実な抗議の言葉をお聞きください!!!

もう一人の来日原告、丁樹文さんも、門前集会で涙まじりの声で訴えかけています。この時は判決直後で、左のほうで完全に佳縁ちゃんは泣いてしまっていました。

原告らの絶望した気持ちに、私たち支援者も、手をこまねいてはいられません。明日からも、街頭行動や首相官邸前ビラ配りなど頑張っていきます。さらなるご支援をよろしくお願いいたします!!

5月23日簡易検診の報告

5月 24th, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

井堀哲弁護士より報告いただきました。★★★ここから★★★

 
5月23日、橘田先生にお越し頂き、カエンちゃん、丁さん両名の簡易検診を行いました。特に、両者とも汗ばむ等の自律神経の以上が看取された上、丁さんについては、三宅式の短期記憶障害のテストで相当悪い結果が出ていました。

マスコミは、TBS、テレ朝、NHKがカメラを回してくれました。

オンエアは不明ですが、皆さん、判決当日も録画の準備を怠りなきようお願いします。

読売も社会部の記者が熱心に取材してくれました。

毎日新聞サイトで紹介

5月 24th, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

化学兵器CAREみらい基金の、岡村さんから情報いただきました。毎日新聞のサイトに、チチハル事件判決の予告記事が出ていました。

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100522ddlk13040327000c.html

判決ももう目前・・・祈るような気持ちです。

原告無事来日!!

5月 23rd, 2010

判決・・・2010年5月24日(月)  11:30~ 東京地裁前でチラシ配り 13:10~ 東京地裁103号法廷  16:00~ 院内集会(参議院議員会館第1会議室) 18:30~ 報告集会(文京シビックセンター・スカイホール

判決後の行動・・・2010年5月25日(火)~28日(金) 毎日午前8:30~9:30 首相官邸前でビラ配り 5月25日(火)のみ午前12:00~13:00 銀座マリオン前で街頭アピール

5月21日金曜日、丁樹文さん・カエンちゃんは無事に来日しました。その後、定刻通りに事前の記者会見にも出席が出来ました。朝、5時半起きて、二人とも少し疲れたものの、体調は良好だそうです。その後、判決をあすに控え、怒涛のスケジュールが待っていますが・・・。頑張りましょう!!応援、カンパもよろしくお願いいたします!!それにしても、判決はどんな内容になるのか・・・。本当にドキドキ、祈る気持ちです。

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